戦後の大学入試で英文和訳、とりわけ全文訳の問題が減少した背景には、文部省の強力な行政指導がありました。
文部省は、1948(昭和23)年から『学力検査問題作成の参考資料』を作成し、大学入試への行政指導に着手します。
書名にいきなり「文部省通牒準拠」を冠しています。
この「通牒」とは、上記の『学力検査問題作成の参考資料』のことです。
それにしても、民主化されたはずなのに、日本の教育界は相変わらずお上に弱い、というかなんというか・・・
ま、それはともかく、この参考書の最初の2ページを紹介しましょう。
文部省通牒の内容がまっ先に載せられています。
文部省通牒の内容がまっ先に載せられています。
特徴的なのは、「従来のような翻訳一天張の方法を放擲(ほうてき)」することが求められていることです。
この「通牒」は毎年出され、特に英文和訳や和文英訳に偏ることが厳しく批判され、4技能全般にわたる英語の総合能力を「客観的に」評価するよう指導されます。
1951年度入試の前には、文部省は「できる限り、純粋に客観的に、多種多様な角度から、また問題の種類、数を多くして課題するのがよい」とし、「英文和訳、和文英訳の問題は判定に多分の主観がはいってくる危険がある」と断罪しています。
語彙減少の背景にも行政指導がありました。
文部省は学習指導要領で語彙を一貫して削減し続けたのです。
中学・高校を合わせた語彙の上限は1950年代初めに6,800語でしたが、改訂のたびごとに減少し、現行の指導要領(1998・99年)では、2,200語まで下がりました。
文部省は学習指導要領で語彙を一貫して削減し続けたのです。
中学・高校を合わせた語彙の上限は1950年代初めに6,800語でしたが、改訂のたびごとに減少し、現行の指導要領(1998・99年)では、2,200語まで下がりました。
これで「学力低下だ!」「確かな学力への転換だ!」というのですから、思わず「誰のせいだ!」とツッコミたくなります。
この他、財界や高校側からも大学入試英語への様々な要望が出されています。
英文和訳などの記述問題が減少した社会的背景としては、次の要因が考えられます。
(1)高校進学率の向上(1955年51.5%→75年91.9%)による英語学力の多様化。
(2)大学への大量入学(進学率:1960年10.3%→1975年38.4%)、入試の多様化・複数化にともなう採点業務の省力化・経費節減のための客観問題の増加。
(3)コンピュータの発達によるマークシート方式の普及(特に1979年の共通一次試験以降)。
(4)口語的・会話的英語へのニーズの高まり。
(2)大学への大量入学(進学率:1960年10.3%→1975年38.4%)、入試の多様化・複数化にともなう採点業務の省力化・経費節減のための客観問題の増加。
(3)コンピュータの発達によるマークシート方式の普及(特に1979年の共通一次試験以降)。
(4)口語的・会話的英語へのニーズの高まり。
大切なことは、英文和訳などが減少したのは、学力論の観点からの批判によるものではなかったという点です。
文部省の批判も採点の客観性の観点からで、英文和訳では英語力が伸びないという主張や証拠は述べられていないのです。
文部省の批判も採点の客観性の観点からで、英文和訳では英語力が伸びないという主張や証拠は述べられていないのです。
私立大学の場合は、採点業務の省力化・経費節減などの観点からだと思われます。
また、出題内容の多様化・総合化をという要求についても、岡倉が述べているように、英文解釈の最終目標は直読直解であり、話し方、読み方、作文、文法などと対立するものではないはずなのですが。
こうして戦後の英文解釈、とりわけ英文和訳は受難の日々を迎えたのでした。
(つづく)