希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

新著『受験英語と日本人』(研究社)の概要(その2)

新著受験英語と日本人:入試問題と参考書からみる英語学習史』(研究社)の概要の後半部分です。

シェイクスピア」さん、さっそく書評を掲載いただき、ありがとうございました。

第4章 戦時体制と受験英語の受難(1937~1945)

 日中全面戦争(1937)から敗戦(1945)に至る戦時体制は、受験英語の世界にも暗い影を落とした。
 この時期、徴集延期という学生特権への期待もあって入試倍率が著しく上昇した。
 同じころ、英語が敵性語から敵国語とみなされる状況の下で、農業系を中心に入試に英語を課さない専門学校が目立つようになった。

 太平洋戦争の開始以降には、入試問題に天皇制(国体)、大東亜共栄圏、軍事関係といった内容の問題が数多く出され、戦意高揚が煽られた。
 だが、戦局が悪化する下で、1943(昭和18)年には高等学校の理系で、翌年には文系も入試から英語が削除された。1945(昭和20)年に文部省が作成した統一試験では外国語が排除されていた。

 世界情勢を正しく認識するためには、外国語の素養が必要不可欠である。それにもかかわらず、この時期の指導層や知識人の多くが国粋主義と排外主義にとらわれ、入試からも社会生活からも外国語を排除した。
 そうした偏狭な姿勢がどれほど重大な事態を招いたかは、敗戦に至る経過が示している。
 それが敗戦占領下で一変する。

第5章 戦後の受験英語(1945~2010)

 日本は敗戦占領下の学制改革によって、すべての国民に外国語教育が保障されるようになり、高校・大学への進学率も飛躍的に上昇した。
 1952(昭和27)年以降は高校入試に英語が導入され、戦前はほんの一握りにすぎなかった受験英語の体験者がほぼ全国民に広がった。

 大学入試では、総合的で客観的な試験を求める文部省と、英文解釈と英作文に固執する大学との攻防が繰り返された。英語の問題では、短文全訳の減少、長文化、語彙の減少と口語化が進み、特に1979(昭和54)年の共通一次試験の導入以降は客観テストと総合問題が急増した。
 こうした変化をさらに加速させたのが、1990年代以降に本格化するオーラル・コミュニケーション重視策である。

 これらの結果、精読と和訳を重視する明治以来の英文解釈書が1990年代から急減し、新たに長文速読や音声問題への対策本が増加するなど、参考書や学習法にも大きな変化が生じた。
 しかしオーラル重視への転換後、中学生・高校生の英語学力が著しく低下したという研究報告が相次ぐなど、問題点も浮上している。

 日本人にふさわしい英語学習法とは何かを、過去の経験と照らし合わせながら再考すべき時期に来ているようである。そのためにも過去の参考書から学ぶことは意義がある。

第6章 戦後のヴィンテージ英語参考書

 敗戦直後から1960年代までは大学受験人口がまだ少なく、入試問題も英文和訳と和文英訳といった記述問題が中心だった。そのため英文の質が高く、それに対応して厳密な英文読解と正確な和訳法を追求した格調高い英文解釈書が数多く出されていた。
 そうした中で、伊藤和夫の『新英文解釈体系』(1964)のように受験英語の枠を超え、学問的にも注目される斬新な参考書も登場した。

 英作文の参考書は1950年代が黄金期だった。この時期、文法文型タイプ、公式応用タイプ、トピック別タイプなど、英文解釈法の前進を反映し、日英比較の粋を集めた優れた英作文参考書が生まれた。

 しかしその後の入試では、和訳や英訳に代わって客観問題が急増し、長文や口語的な英語が増えたことで、厳密さを求める英文解釈や英作文の参考書は次々に絶版となった。

 1990年代以降はオーラル・コミュニケーション重視策も加わり、特に英文の読解力と英作文の力が大きく後退した。それらは狭義の英語力にとどまらず、言語力や思考力の退化を招いているように思える。
 これらを食い止めるための方策を真剣に考えるべき時期に来ているのではないだろうか。

 そのためのヒントと方法が、1960年代までのビンテージ参考書には詰まっている。

エピローグ 受験英語はどこへ行く

 語られることのみ多く、研究されることの少ない「受験英語」。
 しかし、受験英語は日本人の英語学習史に決定的な影響を与えてきた。その総括なしに、英語教育の未来は語れないのではないだろうか。受験英語が日本人の英語力に果たしてきた役割と、その限界や問題点を冷静に考察したい。

 受験英語のダイナミズムと遺産を正当に評価し、受け継ぐ必要がある。受験英語が生んだ日本人にふさわしい英語の教材や学習法は、教育制度や入試制度が大きく変わろうとも、後世に残すべき豊かな知の遺産を含んでいるのである。

 その上で、明治以降の競争から格差の英語教育から、知識基盤社会にふさわしい協同と平等の教育への転換にふわさしい入学試験制度(高大接続)の開拓が不可避である。