希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

新著『受験英語と日本人』(研究社)が届きました。

新著受験英語と日本人:入試問題と参考書からみる英語学習史』(研究社、本体2200円)の見本本が届きました。

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自分の本が出た瞬間というのは、いつも我が子が生まれたような感動を覚えます。
出来が良くても、出来が悪くても、やはり可愛いのです。

店頭での発売は、当初は3月22日の予定でしたが、大震災の影響で3月25日に延期されたそうです。
たいへんな時期に、生まれました。
すでにAmazonでは購読の予約をされた方がかなりおられ、とても嬉しいです。

目次をご紹介します。

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このように、本書は明治初期から現在までの「受験英語」の歴史を、時間の流れに沿って述べました。

また、日本人の英語学力の形成にとって欠かせない、しかしほとんど研究されてこなかった、英語の受験参考書、予備校、通信教育の歴史についてもかなりのページを割きました。

とりわけ英語参考書については、このブログで紹介した本もかなり盛り込みました。
貴重なコメントをいただいた皆さんに深く感謝申し上げます。

本書を執筆した問題意識は「はしがき」に述べましたので、ご紹介します。

 受験英語を抜きに、日本人の本音の英語学習史は語れない。
 「受験英語」とは、入学試験に出題される英語であり、学習者から見れば出題される英語問題を効率よく解くための学習法、教師から見ればその指導法である。日本では明治期から帝国大学を頂点とする上級学校への進学が立身出世の条件であったために、入試問題を解けることが英語の大きな学習動機となった。日本人の英語学習史を振り返るとき、そこには受験英語との格闘史が轍(わだち)のように刻まれているのである。

 ところが、受験英語については個人の成功失敗談から有識者の弊害論に至るまで、語られることのみ多く、実際の入試問題や参考書をひもときながらその変遷をたどった本はなかった。そのため、たとえば「文法訳読式の指導が根強いのは入試問題のせい」といった言説が流布されてきた。

 しかし、入試に出題される内容は時代によっても学校によっても異なるから、「受験英語」の正体をつかむには出題内容の実態を把握しなければならない。たとえば、明治期には英語の聴取や英会話などの運用力をみる入試もあり、決して英文和訳一辺倒ではなかった。また、中学入試に英語が課されたために、小学校での英語教育が活性化した時期もあった。太平洋戦争の末期には高校・高専の入試から敵国語である英語が一掃されたが、海軍兵学校などでは最後まで英語を課していた。戦後は、客観テスト形式で総合的な出題を求める文部省と、英文和訳と和文英訳に固執する大学との攻防が繰り返された。

 本書では、そうした知られざる事実に光を当て、英語の入試問題、参考書、受験生をキーワードに、日本人の英語学習史の真実の姿を描き出してみたい。

 特に注目したのは、受験の伴侶となった学習参考書の中身の検討である。そこで再認識させられたのは、受験参考書こそは日本人にふさわしい英語学習法の宝庫だということだ。英語と日本語とは言語の構造が著しく異なる上に、一般の日本人は日常生活で英語を使う必要がない。そうしたギャップを埋めるため、先人たちは学校文法、英文解釈法、和文英訳法など、「外国語としての英語」(EFL: English as a Foreign Language)の習得にふさわしい教材と指導法を練り上げ、世界でも例のないほど学習者本位の参考書や学習辞典を進化させてきた。英文解釈法に限っても、明治期の南日恒太郎『難問分類 英文詳解』(1903)、大正期の山崎貞『公式応用 英文解釈研究』(1912)や小野圭次郎『最新研究 英文の解釈』(1921)、戦後の伊藤和夫『新英文解釈体系』(1964)などは、独創的な工夫をこらして、英語をいかにわかりやすく効率的に学習できるかを追求している。こうした受験参考書が日本人の英語力向上に果たした役割は計り知れないほど大きい。

 にもかかわらず、参考書は受験が済めば資源ゴミ。所蔵する図書館はあまりない。この世に存在しなかったかのように、多くは戸籍謄本も墓碑銘もない。そこで、本書では歴史的な価値の高い英語参考書を豊富な図版やエピソードとともに紹介する。それらは日本人の英語学習史を雄弁に物語ってくれると同時に、今日の英語学習にとっても役に立つヒントや勉強法を提供してくれるだろう。

 たしかに、明治以降の受験英語には弊害もあった。難解な熟語表現や構文に関心が偏り、英文を分析して正確に訳せないと先に進めないといった悪しき習慣を招いた面もあった。しかし、受験英語によって日本人は読み書きを中心に相対的に高い英語力を保持してきたのも事実である。その基礎があったからこそ、日本人は海外の先進文化を大量に翻訳・摂取することが可能となり、近代化を担うことができた。受験英語を抜きに日本の近現代史は語れないのである。

 1990年代から経済のグローバル化が進み、経済界からは英会話中心の「実践的コミュニケーション能力」の育成が求められた。文部省は学校の英語教育を会話中心に転換し、文法や英文解釈に重きを置かなくなった。2009(平成21)年の高校学習指導要領では「授業は英語で行うことを基本とする」と宣言され、カリキュラムから英文法に次いでリーディングやライティングまでもが消えようとしている。しかし、英語の日常会話は日本国内では非日常的である。行きすぎた会話中心主義の下で、「英語がわからない」生徒の割合が増え、英語学力の低下と格差を指摘する研究者も多い。

 こうした現状を再検討するためにも、日本人にふさわしい英語学習法とは何かを考え直してみる必要があるのではないだろうか。そのために、英語の入試・参考書・学習法の歴史をふり返り、先人たちの苦闘の足跡をたどってみたい。

*次回は各章の概要をご紹介します。