希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

7.11慶應シンポ 英文解釈法の歴史的意義と現代的課題(5)

7月11日の慶應シンポジウム「英文解釈法再考:日本人にふさわしい英語学習法を考える」が終わりました。

5時間半におよぶ長時間の講演と討論におつき合いくださったみなさんに、厚く御礼申し上げます。
壇上から拝見した聴衆のみなさんの熱心な様子が、今でも熱く想い出されます。

また、今回は申し込み開始からわずか2週間足らずで満席となったため、せっかく申し込みされたのにお断りせざるをえなかった人たちが多数にのぼったとのことです。
この場を借りてお詫び申し上げます。

さて、シンポジウムをまたぐ形となりましたが、引き続き「英文解釈法の歴史的意義と現代的課題」について、私の考察をアップいたします。
その際、慶應シンポで使ったパワポのスライドを活用させていただきます。

このパワポ・ファイルについては、いずれ慶應大の大津さんのサイトにアップしたいと思っています。

英文解釈法の歴史的意義と現代的課題(その5)

3. 戦後の英文解釈法

戦後における英文解釈法の変化を大学入試問題の変遷との関係で見てみましょう。
戦後の英語入試問題の特徴は、以下の4点です。

(1)和訳(特に全文訳)の減少
(2)客観問題・総合問題の増加
(3)語彙の平易化
(4)読解問題の長文化
(5)近年の音声問題の増加

3-1. 英文和訳の減少

大学入試の英語問題で最も比重が高いのは読解問題です。
その割合は1950年代~80年代まで一貫して5割前後で、大きな変化はありません。
英作文や文法問題もそれぞれ2割程度で安定しています。

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大きく変化したのは、和訳、特に全文訳が減少したことです。
これらの図は、旺文社が毎年発行している『傾向と対策』のデータをもとに私が作成したものです。

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全文和訳問題は、1953(昭和28)年のピーク時で約6割の大学が出題していましたが、減少し続け、1970年代半ばに1割を切ります。
特に私立大では1980年代半ばに全文和訳が絶滅します。

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代わって、私大を中心に選択問題や完成問題などの「客観テスト」の割合が高くなっています。
1979(昭和54)年の共通一次試験に代表されるマークシート方式が、この傾向に拍車をかけました。
 
3-2. 英語の長文化と語彙の減少

こうした傾向は、必然的に英文の長文化を招きます。
200語以上の長文問題は、1960年代初めには1割程度でしたが、年を追うごとに増え、1980年代には8割にも達します。

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明治以来の短文を精読させて正確な日本語訳を作らせるのではなく、長文を速読させて大意を把握させ和訳は求めない、という方向に進んだのです。

こうした変化は英語の参考書にも大きな影響を与えます。
一例として、旺文社の『傾向と対策』の変化を見てみましょう。

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『英文解釈の傾向と対策』は1958年から発行されていましたが、1990年から「英文解釈」の文字が消えて『英文読解ベスト30』となります。
翌1991年からは、『英語長文読解』となり、「長文」が明示されました。
2000年からは「読解」さえ消え、『英語長文問題』になりました。
読解に偏らず、多様な設問を課すようになったのです。
2003年からは『センター試験傾向と対策』として、センター試験用に特化しましたので、和訳などの記述式問題は完全に消えました。

しかし、こうした長文化が本当に高校生の英語力を高めたのでしょうか。
予備校の第一線で受験生を指導してきた伊藤和夫は、次のように厳しい意見を述べています。

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こうした流れの中で、短文を正確に読み解くスタイルの参考書は敬遠され、1912(大正元)年の発売以来ロングセラーを続けていた山崎貞の『(新々)英文解釈研究』も、1990年代に絶版となります(最近、1965年版が復刻されたのは嬉しいことですが)。

使用される語彙は減少し、易しい単語の長文が増えました。
『傾向と対策 昭和41年版』(1965)には、大学合格には「卒業までに少なくとも1万語をマスターしなければならない」と書かれていました。
ところが、1979年に始まる共通一次試験では、「高2前後の教科書に出てくる程度のむしろ基礎的な単語の知識」が求められました(『共通テスト対策ゼミ・英語』1978)。
もちろん、難関大学の二次試験にはもっと難しい英文が出ていましたが。

では、こうした変化は何によってもたらされたのでしょうか。

(つづく)