5. 英文和訳が絶滅危惧種となった背景(3)
(3) 社会的背景社会的背景としては、次の5つの要因が考えられます。
もちろん、それぞれの要素は関係し合っています。
もちろん、それぞれの要素は関係し合っています。
しかし、明治も中期以降になって、そうした英学の時代が終わると、より現代的で実際的な英文を読むことや、発信型の教材も必要になってきました。
英語学習者の層も徐々に広がり、日本人にふさわしい外国語としての英語教育(ESL)的な指導法や教材が開発されていきます。
英語学習者の層も徐々に広がり、日本人にふさわしい外国語としての英語教育(ESL)的な指導法や教材が開発されていきます。
戦後英語教育の最大の特徴は、中学校が義務化され、外国語(事実上は英語)を学ぶ機会がほぼすべての国民に保障されたことです。
そのことは、当然、英語学習者の多様化を招きました。
戦前は同一年代のせいぜい2~3割程度だった英語学習者が、戦後はほぼ100%になったわけですから、英語が苦手な子も数多く出てきました。
戦前は同一年代のせいぜい2~3割程度だった英語学習者が、戦後はほぼ100%になったわけですから、英語が苦手な子も数多く出てきました。
その上で、高校進学率、次いで大学進学率が著しく高まり、それに伴って大学入試のレベルも出題内容も多様化していきました。
何より、大学進学者の急増は、膨大な答案を処理する必要を生み出しました。
しかも、私立大学を中心に、地方入試やアラカルト入試などによって、入試問題の種類も増えていきました。
しかも、私立大学を中心に、地方入試やアラカルト入試などによって、入試問題の種類も増えていきました。
そうなると、英文和訳などの記述問題をじっくり採点している余裕がありません。
ですから、すでに見たように、1980年代にはまず私立で、やがて国公立でも、英文和訳(とりわけ全文訳)がどんどん消えていきました。
前にも述べたように、これは学力論的に「英文和訳がよくない」からではなく、もっと外的な、つまり採点業務的な要因によるものです。
ちょうどこの1980年代に、ヨーロッパから会話を中心としたコミュニカティブな英語教授法が導入されました。
それにもとづいて、文部省の学習指導要領も1990年代に「コミュニケーション重視」に転換してきました。
それにもとづいて、文部省の学習指導要領も1990年代に「コミュニケーション重視」に転換してきました。
アメリカを中心としたグローバリズムが、ビジネス用の英会話中心主義に拍車を掛けました。
多国籍企業化する日本の財界は、経団連を中心に、一斉に英会話中心への転換を主張します。
小学校英語なども、ここから生まれてきました。
多国籍企業化する日本の財界は、経団連を中心に、一斉に英会話中心への転換を主張します。
小学校英語なども、ここから生まれてきました。
始末に悪いことに、巨額の政治献金でこの方針を貫徹させようとしたことは、拙著『英語教育のポリティクス』で明らかにしたとおりです。
これらの一つの帰結が、格差と競争原理に基づく文科省の「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」(2002)と同「行動計画」(2003-07)でした。
(ついでに言うと、僕はこの「行動計画」にどう対応したかで、その人の言語観や世界観がわかると思っています。恐い「踏み絵」なのです。)
しかし、コミュニカティブな英語教授法がヨーロッパを中心に発達したのは、お互いの言語的距離が近く、ヨーロッパ統合(EU)によって多言語が行き交う第二言語(ESL)的な言語空間がヨーロッパに生まれたからでした。
このような言語環境に適したESL的な教授法を、英語があくまで学習言語であり外国語(EFL)である日本に移入しようとしても、そう簡単に根付くものではありません。
日本では、英語の日常会話は「非日常的」なのですから。
実際に、中学生も高校生も、1990年代から英語の学力を低下させ続けていることは、上記の拙著でも明らかにした通りです。
ですから、日本も多言語主義と、日本の言語環境にふさわしいEFL的な言語教育政策をとるべき時期に来ているのではないでしょうか。
EFL的な学習法のヒント(むしろ宝庫)は、明治以来の日本人が苦労して獲得してきた日本人向けの学習法にあります。
ちょうど今日届いた雑誌『新英語教育』7月号の特集がEFLとESLの違いに関するものです。
巻頭では、友人の奥野久先生が、拙著も援用しながら、日本の外国語教育政策の問題点をわかりやすく整理されています。ぜひお読み下さい。
巻頭では、友人の奥野久先生が、拙著も援用しながら、日本の外国語教育政策の問題点をわかりやすく整理されています。ぜひお読み下さい。
(つづく)