希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

戦時下の英語教育と入試(1)

去る11月末に、私の研究室に鳥飼玖美子先生とNHKのスタッフが来られて、資料を交えながら、主に戦時下の英語教育に関する対談を行った。→過去ログ

そのときも思ったのだが、戦時中には英語教育は行われていなかったという誤解が世間には少なくないようだ。

そこで、1937(昭和12)年7月の日中全面戦争開始から1945(昭和20)年8月のまでの戦時体制下における英語教育の実相を伝える必要を痛感している。

ただ、この問題については拙著『日本人は英語をどう学んできたか』(研究社、2006)でかなり詳しく述べたので、ここでは「入試」をキーワードに見てみたい。

1931(昭和6)年に日本軍は満州事変を起こし、翌年には「満州国」が建国された。
1937(昭和12)年に日中全面戦争に突入すると、国粋主義的な「国体明徴」運動と軍国主義が一段と強まった。それは英語教育や受験界にも大きな影響を与えた。

入試問題の出題傾向にも影響を及ぼした。研究社の雑誌『受験と学生』(1937年9月号)に載った英語通信社の広告は「北支時局と入試問題」と大書きして、「次年度の入試問題、特に英和や和英や国漢や地歴に於ては時局に直接又は間接に関係する問題が飛出す事は火を賭(み)るより明かだ」として対策を呼びかけている(図)。

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また、同号の「和文英訳出題傾向と予想問題」でも、鈴木芳松は近年の傾向から「国体・国家に関するもの」が増えると予想し、過去2~3年に出された次のような問題を列挙している。

「我が国体は万世一系天皇が皇祖の神勅を奉じて永遠に国家を統治したまふ所にある。されば天皇と臣民との間はその秩序が天地の初から盤石の如く確立して居ると同時に真に一体となって限りなく栄え行くのである。」(神戸高等商業学校)

「我国が東亜の指導者であるといふことが今日程切実に感ぜられたことは曽(かつ)て無かった。第二の国民たる者の責任はいよいよ重且(かつ)大となったことを銘記せねばならぬ。」(第四高等学校)

「日本国民ハ昔カラ降伏ヲ恥辱トシ生キテ俘虜(ふりょ)トナランヨリハ死シテ君国ニ奉ズルヲ武士道ノ精華トシテヰル」(陸軍予科士官学校

このように、1935(昭和10)年の政府による国体明徴声明のころから、まず「国体・国家」に関する出題が増えた。

1941(昭和16)年末に太平洋戦争に突入すると、戦争に直接関連した問題が一段と増えた。
1942(昭和17)年度の英作文問題を見てみよう。

「今次の戦争に依って与へられた幾多の教訓の一つは、真に貴いのは金銭や物資ではなくて精神であるといふことである。」(官立高校の共通問題)

「東亜共栄圏の建設は決して容易な事業ではないから、我々は戦の始めに於ける成功に対する喜びの余り我を忘れてはならない。敵は豊富なる資源を有する世界最強の二国である。この敵を破るには一億の国民は一丸となって、全力を挙げて国家の為に尽くさねばならぬ。」(横浜商専)

帝国陸軍航空部隊は、シンガポールを空襲し軍事諸施設を爆砕せり。」(福島高商)

「私の書斎の南洋地図には、皇軍の占領をあらはす日の丸の旗が、日毎に増していきます。」(浪速高校

このような戦時的な題材は、英文和訳、英作文を問わず、この年の入試問題にはおびただしく出題され、受験雑誌にも軍事関連の記事や例題が数多く載せられるようになった。

たとえば、英語通信社の『進学指導』1944(昭和19)年1月号を見ると、表紙に爆撃機が描かれている。4月号では爆弾投下が描かれている。
入試問題も受験雑誌も、若者への戦意高揚を図ったのである。 →過去ログ

(つづく)