希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

『受験英語と日本人』の書評(感謝を込めて)

「ふるや」さんの書き込みで、朝日新聞社の週刊誌 AERA 6月6日号に拙著『受験英語と日本人:入試問題と参考書からみる英語学習史』(研究社)の書評が掲載されていることを教えていただきました。
苅部直氏(東京大学教授・政治学)による見事な書評です。

また、これに先立ち、『週刊読書人』4月22日号には大津由紀雄氏(慶應義塾大学教授・言語心理学)が素晴らしい、また読んで楽しい書評を書いてくださいました。

このほか、もうじき発売の『英語教育』7月号(大修館書店)に加えて『新英語教育』(三友社出版)にも『受験英語と日本人』の書評を載せてくださるようです。

心より、感謝申し上げます。
<m(_ _)m>

せっかくですから、これまでいただいた書評の一部を紹介させてください。

◎「後進たちの貴重な道しるべに 丹念に受験英語の神髄を探る」(『週刊読書人』4月22日号、6頁。大津由紀雄氏評)

 ・・・「「山貞」、「小野圭」、「赤尾の豆単」、きわめつけは「伊藤和夫」とならべば、中高年には《なつかしのメロディー》としても大いに楽しむことができる。しかし、本書をそれだけで読了したことにするのはあまりにも惜しい。それはなぜか。一つには、本書には、一般の人がほとんど知らない意外な事実がたくさんちりばめられているからである。もう一つには、歴史をさかのぼりながらも、江利川の視点は常に現代にあり、過去は未来を見定めるための基盤として位置づけられているからである。

 なぜそんなことができたのか。それは江利川がもともと社会科学としての経済学、わけても日本経済史を学んだからである。ほぼ同じ経歴をたどった者として、そうした江利川の仕事ぶりは我がことのようにうれしい。そして、その社会科学的思考を支える合理的思考は社会科学の枠を超えて、一層その鋭さを増す。書評子は江利川の伊藤和夫に対する評価にその真髄を見る。

 江利川は、幻の名著と言われる『新英文解釈体系』(有隣堂、1964年)から遺稿となった『予備校の英語』(研究社、1997年)に至るまでの伊藤の思索の歩みを丁寧に解きほぐしていく。そこには、英文法論、文法論、統語解析論、学習文法論など、さまざまな視点が入り交じり、解読の作業は並大抵のことではなかったと想像する。これで解きほぐし尽くしたとは思わないが、今後、同様の作業に関心を持つ後進たちにとって貴重な道しるべとなることは間違いない。

 受験英語という、日陰の存在に貶められることが多い対象を取り上げ、丹念にその真髄を探った本書は、混迷する現代の英語教育の歩むべき道を模索する上で、欠かすことができない重要な著作となった。

 書評子が江利川に望む、つぎの著作は多少とっつきやすさを犠牲にしても、そして、多少高価になっても、集大成としての日本英語教育史大全である。そんなことを江利川に伝えたら、おそらく、「大津さん、ぼくはまだ50歳半ばですよ」と答えてくるような気もする。ならば、もう一遊びしてからでもかまわない。でも、いつかはそれを達成してほしい。」

☆ 最後は、きっちり宿題まで課して、いかにも大津さんらしい読ませる書評です。ありがとうございました。

イメージ 1

◎「「豆単」「でる単」がロングセラーのわけ」(AERA 6月6日号、66頁。苅部直氏評)

 ・・・「定番と呼ばれるような学習参考書が、これほどまでに数多く、まだ世代交替をへながら登場し続けた現象は、他の教科では見られない。それはもちろん、高校の教育課程と大学入試のなかで、英語が占める位置の重要さのせいでもあろう。だがそこに、英語の教え方・学び方をめぐって、日本人が明治時代から続けてきた、膨大な努力の跡を見いだす。それがこの本の構えである。

 何しろ、受験用の英語参考書は、早くも1880年代に刊行されはじめ、「難文・難句」を読み解く方法の解説からはじまって、しだいに、いわゆる「英文法」の体系が、日本人が英語を学ぶための方法として創られていったという。西洋文化の輸入を目ざすための英語学習であっても、その教材は、まったく日本独自の工夫に基づいていたのである。(中略)

 英語の学習において、体系だった読解訓練をまず積むことの大事さを、著者は多くの参考書の分析を通じて示している。考えてみればたしかに、外国で英語を話しながら暮らすわけでもなく、日本にいたまま外国語を学ぶのなら、文法と文章読解から始めた方が、効率よく身につくだろう。」(以下略)

政治学者として、また書評の名手として著名な苅部氏ですが、英語教育史の本であるにもかからわず、著者が言いたかった核心部分を簡潔なことばで表現する力量には、まさに脱帽です。

 
◎ 「蛍雪が照らし出す英語教育のパースペクティヴ」(大修館『英語教育』7月号、92頁、鈴木貴之氏評)

・・・「はしがき」で著者は、日本人が海外の先進文化を摂取し近代化を成し遂げたのは、受験によって英語の読み書き能力を鍛えられたからであるとし、「受験英語を抜きに日本の近現代史は語れない」と述べる。そしてそれは会話中心の学校カリキュラムで英語学力の低下を招いている現状の再検討にもつながるはずである、と。

 英語教育史を専門とする著者は、学校及び入試制度の変遷と関連づけつつ「受験英語」の起源から成熟までの軌跡を正確な筆致で辿る。明治期の入試問題や受験参考書など、図版を交えて豊富な史料は実に説得力があり、本書が綿密な跡づけを要した第一級の研究書であることを物語る。(中略)
 
 プロローグが「受験英語の巨星・伊藤和夫」と題されているように、受験英語の通史的総括を初めて手掛けた本書は、1997年にこの世を去った巨星へのオマージュでもある。10有余年の歳月をかけて江利川氏は教育者としての内なる声の高まりを待ったと言うことだろう。2009年の高校学習指導要領が、英文法に続きカリキュラムからリーディングとライティングを外し、「英語の授業は英語で行う」という「現場無視の方針を押し付けて」きた。「行きすぎた会話中心主義」の下で英語学力の低下を危惧する著者は今こそ「後世に残すべき豊かな知の遺産を含んでいる」受験英語を正当に評価する時だ、と結ぶ。受験英語が照射する新たな地平が浮かびあがるようだ。まさしく温故知新である。・・・

☆ 予備校の第一線で受験という現実と日々向き合っている著者だけに、説得力があり、たいへん鋭い書評だと思います。

前にも述べましたが、書評を拝読するのは、学芸会の発表をすませた我が子に対する審査員の講評を聴く思いです。
深く感謝しながら。