希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

ゼミで岡倉由三郎『英語教育』(2011)を読む

10月20日のゼミでは、文部科学省の「外国語能力の向上に関する検討会」が2011年6月に発表した「国際共通語としての英語力向上のための5つの提言と具体的施策」の内容を再度検討しました。

その上で、エリート主義とスキル主義をキーワードに、問題点を抽出し、それとの対比で岡倉由三郎の名著『英語教育』(1911)の一部を読みました。
小学校英語と英語教育の目的論に関する部分です。

明治期の旧漢字と独特の文体を読みこなせるかどうか不安でしたが、みんな一生懸命下調べをしてきて、協力しながら読みこなせたのはあっぱれでした。

なによりも、岡倉の見識と英語教育目的論(教育的価値と実用的価値)の豊かさに、みんな感動していました。

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学校教育としての英語科教育は、一握りの英語ができるエリートを育てることだけに特化してはなりません。国民全体に責任を負うからです。

しかし「提言」には、英語を苦手とする子どもへの指導法や配慮はまったく書かれていません。

「実践的跳び箱」や「実践的源氏物語」という問題設定がおかしいように、学校での英語科教育は実社会ですぐに使えることを目標としてはならず、またできず、いわば教養科目の一種です。

人間が持つ多様な可能性を伸ばし、全面的な発達を促すための一分野なのです。
その意味で、将来英語を必要としない人にも学習の機会が必要なのです。

「検討会」のみなさんは、そうした学校教育の原点をどうして忘れてしまったのでしょうか。
経済界にしか目を向けないのでしょうか。

あれほどやった微分積分三角関数を忘れてしまっても、だれも数学の先生を恨みません。

なのに、なぜ英語科教育だけが「使えない」「役に立たない」を批判を受けるのでしょうか。

ちょうど100年前に出た岡倉由三郎の『英語教育』(1911)を読めば、そうした財界らの要求がいかに理不尽で反教育的なものかがわかります。

この本を現代語訳にして出版したいくらいです。

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