5月27日(日)に開催された日本英文学会第84回全国大会のシンポジウム「英語の学び方再考:オーラル・ヒストリーに学ぶ」で私が発表した「日本人の英語学習史から学ぶ」のハンドアウトを解説付きでお示しします。第4回です。
英語学習の方法(How)は目的(What)に規定されます。
ですから,学習法を論じるときには,誰のための,何のための英語学習かを合わせて論じなければなりません。
ニューヨーク勤務を命じられたビジネスマンと,日常生活では英語の必要性を実感できないまま大学入試にのぞむ高校生たちの学習法とは自ずと異なるのです。
さて,そうした「目的論」を,戦前の英語界の最高指導者の一人だった岡倉由三郎の見解から見てみましょう。
岡倉の目的論といえば,名著『英語教育』(1911)での「実用的価値」と「教育的価値」が有名です。
その5年後に雑誌『英語の日本』9巻4号(1916)の記者に語った岡倉の言葉は,談話の気楽さからか,彼の目的論をさらに踏み込んだ形で述べています。
「実用英語に始まり修養英語に終れ」と言うのです。
最初は鵜呑み的に英語を学び、ある程度まで基礎知識ができたら,修養的に研究をせよとも述べています。
さらには,「中学校,師範学校の英語はgentlemanたる素質を造るためのEnglishであるから実用方面には多少欠くる処があっても修養方面に於て之を補ふ処多ければそれで満足せねばならぬ。」とまで言い切っています。
「すぐに役に立たなくてもいいじゃないか!」という居直りともとれる痛快な言葉です。
あたりは,談話の気軽さか,教養主義を前面に押し出した,かなり大胆な意見です。
だから,オーラル・ヒストリーは面白いのです。
あたりは,談話の気軽さか,教養主義を前面に押し出した,かなり大胆な意見です。
だから,オーラル・ヒストリーは面白いのです。
仙台の第二高等学校教授だった玉虫一郎一は,学校種によって英語学習の目的が異なることを次のように語っています。
たいへん重要な指摘ですね。
以上をふまえて,次に具体的な学習法を包括的に述べた人物を2人紹介しましょう。
この名著は,現在でも講談社学術文庫(ただし品切れなので古本)で読めますので,ぜひオススメします。
内村は,文法がどうの,発音がどうの,と言う前に,まず「忍耐なれ」と呼びかけています。
そして8項目の最後も「執拗なれ」で終わっています。
つづいて,私を含めていまだに根強いファンの多い田中菊雄の学習法を見てみましょう。
ほとんど独学で大学教授にまでなった田中だけに,説得力があります。
ほとんど独学で大学教授にまでなった田中だけに,説得力があります。
まず第一は,なんと「驀進」(ばくしん)。
「成功せずばやまぬという決心で勇往邁進せよ」というのです。
内村の「忍耐」や「執拗」と同じく,一種の精神論かもしれません。
しかし,英語のような難しい言語をモノにするには,この種の覚悟が必要なのではないでしょうか。
新聞の全面広告が語るように,楽をしてすぐに英語が身につくなら苦労はしません。
しかし,実際にはどれほどしんどいことか。
しかし,実際にはどれほどしんどいことか。
私は仕事柄,大学で英語科教育法を教えていますが,How toの以前に,「忍耐」「執拗」そして「驀進」の精神がなければ,小手先のHow toでは歯が立たないと思っています。
(つづく)