希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

「高校生・大学入試にTOEFLを」の愚(3)

4月13日に本ブログで「『大学入試にTOEFLを』の愚」を発表してから1週間が経ちました。

2日足らずの間に6,000を超すアクセスがあり、その反響の大きさに驚きました。

おかげさまで本日、累計27万アクセスに達しました。
皆さまに心からお礼申し上げます。

自民党教育再生実行本部の「成長戦略に資するグローバル人材育成部会提言」(4月8日)に対しては、英語教育関係者を中心に、多くの人たちが怒りを感じているようです。
「提言」(PDF版)

昨日(4月19日)は、この問題に関して、3時間半にわたり新聞社の取材を受けました。
記事の掲載日などがわかりましたら、お知らせします。

さて、「高等学校段階において、TOEFL iBT 45点(英検2級)等以上を全員が達成する」などと、「提言」がすべての高校生や大学受験生にTOEFLなどの外部試験を課すという信じがたい方針を盛り込んでいることについては、すでに述べました。

単語のレベルひとつをとっても、TOEFLは英検1級よりも難しい試験問題だとする研究があるほどです。

文部科学省の新学習指導要領(2015年度完全実施)が定めた高校卒業時の総語彙数(新出単語数)は、これまでの2,200語程度から3,000語程度に増えました。

単語(異語数)の難易度を1,000語単位で区切った場合、指導要領が定める3,000語レベルはTOEFL出題語彙のたった4割ほどを占めるすぎません。

残りの約6割は4,000語レベル以上の難しい単語で、1万語を越える超難解単語が14%も含まれているのです。
石田雅近「英語教員が備えておくべき英語力:英検準一級、TOEFL550点、TOEIC730点の目標値を中心に」『英語展望』第111号、2004、英語教育協議会)

ちなみに、難易度の高さで知られる英検1級の場合、3,000語水準の語彙が約6割です。

近年のTOEFLは語彙が平易化傾向にあるとはいえ、高校の教育課程を大きく逸脱してることには変わりがありません。

一般の高校でTOEFL対策を行おうとしても、まず語彙のハードルが高すぎて授業が成立しないでしょう。

しかも、TOEFLアメリカなどの大学・大学院への留学用の試験ですから、政治学、心理学、物理学、生物学などの文系・理系のあらゆる分野が出題対象で、広範な教養、論理的思考力、4技能全体にわたる高度な英語力が問われます。

教育改革実行本部長の遠藤利明議員は、談話の中で、「教養どうでもいい」とおっしゃっていますが、高度で広範な教養がなければTOEFLは正解できません。

さらに、「高校生にTOEFLを」という政策は、すでに橋下徹氏が大阪府知事時代に進め、失敗しています。

大阪府は「世界に通用する人材育成」をめざして50校分5億円の助成金を準備しましたが、フタを開けてみると参加校はわずか8校。
うち、基準点(38点)をクリアできたのは4校だけでした。
平均点が基準点に達しなかった4校は助成金ゼロでしたので、大損害です。

クリアした4校は、すべて帰国子女などの英語エリートの多い私立校でした。
(→2012年5月11日 朝日新聞デジタル

こんな失敗例がすでにあるのに、今回の「提言」は、TOEFL基準点を45点に引き上げ、しかも「高校生全員」に課すというのです。

もちろん、試験は学校の教育課程に準拠したものでなければなりませんので、TOEFLTOEICや英検などの他の外部試験に変えたところで、問題の本質は変わりません。

「提言」は、このように基礎的な事実認識すら伴わず、失敗から学ばずに出されたものであり、学問的根拠のない「思い込み」と「願望」の産物としか言いようがありません。

政府与党という重責にある人たちが、かくも軽薄で思慮に欠けた方針を出してくるという現実。
その現実に、一国民として危機感と戦慄を覚えます。

それにしても、「提言」が深刻なのは、単にTOEFLなどに対する無知という問題ではなく、背景にある英語観、教育観、思想の貧困さです。

まず、「提言」を貫く思想は、一部の英語エリートの育成で、大半の子どもは切り捨てるというものです。

提言では「結果の平等主義から脱却し、トップを伸ばす戦略的人材育成」と明言しており、これが全体を貫いています。

教育再生実行本部も安倍内閣も「イジメをなくす」と言っていますが、苛烈な試験を課して一握りのトップだけを伸ばすという教育政策を行えば、学校現場の荒廃はますます進行し、イジメが蔓延するのではないでしょうか。

そもそも、英検1級よりも難しい語彙を含むTOEFLを課すという施策そのものが、国家によるイジメではないでしょうか。

私は協同学習によって、できる子も苦手な子も共に学力を高め、人間関係力とコミュニケーション能力を高めることこそが、教育改革の進むべき道だと考えています。

試験と競争で追い立てるやり方は、旧時代の遺物なのではないでしょうか。

次に、「提言」に流れる英語教育の目的論・理念も貧困です。

「提言」は、英語を実利のための道具・技能に矮小化し、TOEFL等のスコアを唯一の指標とする極端なスキル主義に陥っています。

その背景には、子どもを利益追求のための「人材」としか見ない非人間的な教育観があるようです。

しかし、学校で外国語を学ぶ目的は、単なるスキルを身につけるためだけではありません。

平和で民主的な世界を形成するために、外国の人々と相互理解・交流・連帯を深めるためであり、母語を含む言語と文化の多様性と面白さに気付き、人間としての思考や感性を拡充するためでもあるのです。

ですから、仮に外国語が実用的に使えるレベルに達しなくても、学ぶ意義は大きいのです。

日本語は世界9位の巨大言語です。日常生活で外国語を「使う必要のない」環境です。
だから、すぐには「英語が使えない」のです。

仕事で英語を使う必要のある日本人は、せいぜい10%です。

学校教育の方針は、そうした現実の上に立って立案すべきです。
無理難題を押しつけ、生徒を脅し、教師をバッシングしても教育はよくなりません。

最後に、「グローバル化=英語化」という短絡的で貧弱な発想では、これからの世界では生き残れないでしょう。

世界はもっと多様で豊かです。

EUを初めとする世界の潮流は、英語一辺倒ではなく、母語と自国文化を尊重した上での複言語主義・複文化主義による諸言語・諸民族の共存政策です。

日本の言語政策も、英語一辺倒主義を脱し、周辺アジア諸国の言語を含む複言語主義へと舵を切るべきときではないでしょうか。

幕末開港以来の先人たちの努力によって、日本では大学教育まで母語で行える幸せな国となりました。

こうした先人たちと比べると、「提言」を出した人たちは、「愛国心」を強調するわりには、少しも愛国的ではなく、日本を米国の51番目の州にしたがっているように思えてなりません。