希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

高校英語教師からの手紙(1)

小学校から大学まで、私は可能な限り学校にお邪魔し、授業を拝見したり、先生方とじかにお話ししたりするよう心掛けています。

今度の3月6日も、大阪北部の中学校を訪問し、協同学習を取り入れた国語の授業を拝見します。

また、ときには見知らぬ教員から手紙やメールをいただくこともあります。
その多くは、切実な声が綴られています。

そんな中から、今回は英語が苦手な生徒が集まる高校にお勤めの若い英語教師からのお便りをご紹介します。
個人が特定されかねない情報以外は原文のままで、本人の同意を得ています。

なお、今回の手記には教育委員会の指導主事さんの指導のあり方に対する疑問の声が含まれています。
私自身、多くの指導主事さんと接し、その献身的で誠実な仕事ぶりに感銘を受けることもしばしばです。

そうした前提の上でお読みいただければと思います。

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今回お話ししたいのは、英語教育における行政の矛盾についてです。

もちろん、未熟な教師の立場で、行政についてとやかく言うのはお門違いであるのは承知しています。
しかし、どうしても聞いていただきたいことがありますので、この場をお借りして現状報告させてください。

具体的な体験談は何度かあるのですが、今回は指導主事訪問を中心にお話したいと思います。

① 指導主事訪問

指導主事訪問があり、教育局から派遣された指導主事が、私の授業を視察に来ました。

私は特に「外向き用」の授業はすることなく、いつも通りの流れで進めました。
授業そのものは、生徒の方も協力的かつ慣れてきたということもあり、特に滞りなく予定通り進行しました。

授業後に協議があったのですが、その指導主事は「英語が苦手な生徒が多い中で、あそこまで活気があって、生徒があんなに楽しそうに授業をやっているのは初めて見た」と一定の評価こそしてくれたものの、決して首を縦に振ってはくれませんでした。

理由はただ1つ、私の授業はコミュニカティブでもなければ、生徒が自己表現するような形態(いわゆる「言語活動」)にもなっていないからです。

② これまでの経緯(おもに1年生)

私の持ち場である高校は、中学校の時に、学校にうまく馴染めなかった生徒がほとんどです。不登校だった例も珍しくありません。当然、高校で学ぶのに必要な学力は身についていません。

英語での具体的な例を言いますと、アルファベットは書けない、ローマ字が読めない人もいます。小文字のbとdを逆に書くことなんて日常茶飯事ですし、iとlを混同している人もいました。
また、アルファベットやローマ字は読めても、中学校1年生レベルの単語も知らない人がほとんどです。単語の練習や音読をする際は、カタカナのルビがないと、まるで成り立ちません(なのでプリントにはいつもルビを記載しています)。

日本語の文章を読ませても、決して高校生にとって難解ではない漢字が読めないことが頻繁にあります。書かせた場合にも、「気を付ける」を「きよつける」と書いた人がいました。

学力以前の問題も少なくありません。人見知りが極端に激しく、声をかけても、背中を丸めてうつむいたまま、返事1つできない人もいます。
誇張なしに、今年の1年生で、入学から半年たった最近になって、初めて私に口を開いた生徒がいました。
ちなみに、その生徒が先生に話しかければ、その日の職員室で必ずニュースになるほどです。

今年の1年生には、第1回目の授業でアンケートを実施し、どういう風に授業を行っていくことを望んでいるか問いかけました。そのほとんどは「中1レベルの基礎から教えて欲しい」というものでした。

私はアルファベット、ローマ字の指導から始め、その後には「主語と動詞」、「単数と複数」、「3人称単数の動詞に付くs」など、英語の基礎を、1つ1つ丁寧に教えていくよう心掛けてきました。

幸いなことに、今年の1年生は、学力こそ高くないものの、他の学年と比べても意欲が高い人が多く、授業態度は比較的良好でした。

何度か呼吸が合わなかったり、落ち着きがなくて叱ったりしたこともありましたが、半年が過ぎたころには、ようやく円滑に授業を行えるようになってきました。

単語を覚えようとする姿勢も見られてきましたし、文法についても、必死に理解しようとすることが多くなりました。特に文法の練習問題などを理解して解けたときには、嬉しそうな表情すら見せるようになりました。

このような傾向から最近は、単元の初めに(その単元で習う)文法を取り扱い、新出単語・表現を学び、その上で本文を読むようにしています。

そして文章1つ1つを解説し、一通り納得したら、今度はペアなどで単語を覚えたり音読したりするようにしています(もちろん、ペアは飽きないように工夫をしながら取り組んでいます)。

本文を読む上で、私が常に彼らに伝えているのは、「これまで学んできた文法、単語、表現を駆使すれば、必ず読める」ということと、「音読する際には、ただ流し読みするのではなく、覚えた単語や表現や文法を意識する」ということです。

それが終わったら、今度は教科書の本文をもとにして並べかえ問題の小テストを行っています。

並べかえ問題の小テストを行っている理由は2つあります。 1つには小テストを行うことで、ペア活動に適度な緊張感が生まれるからです。ただ練習するだけでは、最悪の場合、適当な音だけ覚えて終わりになってしまうからです。

もう1つは、彼らは何とか音読に取り組むことが出来ても、書く訓練が不足しているからです。
単語についても、なかなかスペルを意識できません。教科書の文をノートやプリントに書き写すだけでは写経になってしまい、また(重要表現を含んだ)文章を暗唱できるレベルでもありません(一度やろうとしたら、ものの見事に全滅しました)。

このようなことから、彼らにとって「少し難しい」と感じられるくらいの、並べかえ問題の小テストを施すことにしました。

最近は、ペア活動に良い緊張感が出てきただけではなく、本文理解の解説の際にも興味を持ちながら聞く姿勢が出てきました。

まだまだ課題は山のように残っていますが、中学校の時には、おそらく単語も満足に覚えることが出来ず、勉強の仕方すら分からなかったように思われる彼らが、ここのところの授業での反応から、単語を覚えたり文法を理解したりすることが、少しずつではありますが、「楽しい」と思うようになってきたと、私は感じています。

③ 行政の人が嫌う「暗記・文法訳読・精読」および「答えが一つの発問(あるいは問題)」

しかし、このような授業をすると、行政の人は決していい顔をしません。

教科指導(高等学校・英語科)の研修があったのですが、その中身は、おおまかに言うと「これからはAll Englishの時代です」、「言語活動の時代です」、「コミュニケーションの時代です」というものを、3日間にわたり、延々と聞かされるものでした。
2日目には、「授業観察」として、実際に高校に出向いて、「All English」、「言語活動」、「コミュニケーション」を軸にした授業の見学もありました。

同時に彼ら(研修では教育委員会の主査)がやり玉に挙げるのが、「文法訳読」、「暗記」、「精読」、「答えが一つの発問(あるいは問題)」です。
これらを批判する理由は、「覚えた者勝ちになってしまうから」、「時間が掛かりすぎるから」、「大量に文章を読む力がつかないから」、「考える力が身に付かないから」などといったものです。

研修の帰りの電車で教育委員会の人たちと一緒になったのですが、私が*高校に勤務していることを伝えると、そのうちの1人が「あの学校は確かに指導困難でしょう。あなたが悩んでいる気持ちはよく分かります。しかし、そこでAll Englishや言語活動などの授業が出来るようになれば、あなたは注目されます」と言いました。

その場では調子を合わせていましたが、私の本音は次のようなものでした。

・行政から注目されることを目標に授業をやっているわけではない。

・悩んでいるのは、*高校でやっているからでもなければ、理解力の低い生徒を相手にしているからでも
ない。現場と行政の乖離について悩んでいる。学力水準も性質も異なる生徒がいるのに、なぜ一律に同じような授業スタイルで行わなければならないのか。

(つづく)