希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

高校英語教師からの手紙(2)

前回に続き、英語が苦手な生徒が集まる高校にお勤めの若い英語教師からのお便りをご紹介します。
個人が特定されかねない情報以外は、原文のままです。

前回の連載第1回はたいへんな反響でした。
1日足らずの間に、通常の10倍近い約2,500アクセスをいただきました。
ツイートも150を超えました。

「他人事とは思えない」という人も多かったのではないでしょうか。
Facebookの方にも、様々な意見が意見が寄せられています。
https://www.facebook.com/erikawaharuo

よりよい教育の実現のためには、学校現場と教育行政とが協力し合わなければなりません。

しかし、「グローバル人材の育成」を国策とする現在の英語教育政策は、一握りの「英語が使える」エリート育成に特化しているため、学校現場の実態とズレが生じています。
とりわけ、英語が苦手な生徒と日々接している先生方の努力が尊重されていません。

「授業は英語で行うことを基本とする」などといった理論的にも実践的にも誤った政策を上から下ろし、それを末端まで「指導」せざるをえない指導主事さんの多くもジレンマに苦しんでおられるのではないでしょうか。
(というか、指導主事さんの多くも思考停止せず、ジレンマを感じてくださいね。)

こうした問題点は改めて述べるとして、手記の続きを掲載します。

現場からの声にもっと耳を傾けてもらうために。

*************
(引用開始)

話を指導主事訪問に戻します。

授業が終わった後の研究協議で、先述のように、授業が円滑に進行したことは認めたものの、「しかし**さん、これからは暗記することではなく、生徒が自分の考えを表現する時代です。覚えた者が勝ちの授業をするべきではありません。**高校の**先生(指定校になっている学校の授業)のような、生徒自らが自己表現するような、コミュニケーションスタイルの授業を目指すべきです」という旨のことを、約40分に渡って言い続けていました。

その間、入学時の生徒たちはどのような状態だったか、どんな事情を抱えて生徒たちは**高校に入学してきたか、これまで私がどのような指導をしてきたか、などの経緯については、ほとんど訊くことはありませんでした。

また、私が文法を一から教え、教科書を読む際に、覚えた語彙や文法事項に詳しく触れながら授業を進めていることに対して、その指導主事は次のように言いました。

「読むときは、じっくり精読するのではなく、おおまかな意味をつかんだらそれでOK。そして教科書の絵などを利用し、そこから自己表現させるべき。教科書の使い方はもっと自由であるべきです。」

これまで授業スタイルに再三干渉しておきながら「自由」という言葉を持ち出すことにも開いた口がふさがりませんでしたが、自己表現などとても出来るレベルではなく、勉強する術すら身に付いていない、つまりは「『覚える』ということから覚えなければならない」からこそ基礎から教えているという私の意図は理解してもらえませんでした。

指導主事が「おおまかな意味をつかんだらそれでOK」という根拠は、「これからはインターネットで大量に英語の文章を読まなければならなくなる。そういうときの読み方は、じっくりと精読するやり方ではなく、次から次へと読んでいくやり方です。生徒が卒業した後に、役に立つような授業をすべきです。」といったものでした。

野球の指導で、大量に試合を消化しなければならないからと言って、基礎体力もなければキャッチボールも素振りも出来ず、ルールもほとんど知らない状態で試合をしたら、どうなるでしょうか? 結果は見えていますし、またそのような指導をしたら、一般の人はどう思うのでしょうか?「あまりに無責任だ」「基礎から教えるべきだ」と思わないのでしょうか?

それとも、練習(文法・語彙)が出来なくても、試合(会話形式)にすれば出来るようになるとでも言うのでしょうか?

授業が終わった後、指導主事は、生徒の1人に「英語の授業は楽しい?」と聞いたそうです(授業後に生徒に聞いていたことは、協議のときに初めて知りました)。
それに対するその生徒の答えは「楽しいです。でも難しいです。」というものだったようです。

これを受けて、指導主事は「**さん、私は生徒の1人に英語の授業が楽しいかどうか聞きましたよ。その子は『楽しいです。でも難しいです』と答えていました。これは、文法や暗記を中心としたあなたの授業が立ち行かなくなっているからではないですか。あなたはもっと実用的な、コミュニケーションスタイルの楽しい授業をするべきだということではないですか。」という話をしてきました。

曲解と解釈していただいて構いませんが、私には「せっかく英語は楽しいのに、文法中心・暗記中心の授業をしているせいでつまらなくしている」とでも言いたげに見えてしまいました。

余談ですが、その生徒は、その授業の2日後、職員室に来て「先生、来週もっと英語の授業ないの?最近英語の授業が楽しい。特に文法が分かってきて、コツをつかめるようになってきた気がする」と私に伝えにきました。

行政の人は、決して「文法を授業で取り扱ってはいけない」とまでは言いません。そのことは学習指導要領を見れば一目瞭然です。
しかし、実際に文法を授業で取り扱おうとすると、「今はコミュニケーションの時代」といったスローガンをもとに、あの手この手を使って授業スタイルを変更するように要求します。

教育委員会が関わる英語科のワークショップに行くと、必ずといっていいほど「これからは文法を中心とした暗記の授業の時代ではありません」と繰り返し言われます。

現状を把握することなく、行政の方針を上意下達に押し通すだけのやり方が、果たして本当に適切であると思っているのかどうか、私は教育に関わる人たちに問いかけたいです。

教員である以上、確かに行政の方針や学習指導要領を踏まえる必要はありますが、何よりもまず先に、目の前の生徒の現状を把握し、それに合うやり方を模索しなければならないと信じて取り組んできました。

行政の人とそのことを共有することは不可能なのでしょうか?

(つづく)