希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

高校英語教師からの手紙(5)

前回に引き続き、英語が苦手な生徒が集まる高校にお勤めの若い英語教師からのお便りをご紹介します。
とりあえずの最終回です。

ご意見をお寄せいただければ幸いです。

***********
(手紙の引用開始)

研修での出来事について、1つお話しさせて下さい。

研修の活動の1つに、教科指導を進め方についてグループ協議するというものがありました。

私もグループの一つに振り分けられ、他校の先生たちと協議を始めました。
簡単に自己紹介を済ませた後、メンバーの一人が開口一番に「この学習指導要領の方針は、上位層しか想定していない」といったことを口にしました。

私も含め、他のメンバーもその考えに賛同し、協議をしていく中で、グループでまとまったのは、次のようなことでした。

・オールイングリッシュで、つまり英語で話しかけると、何度やってもキョトンとしか反応しかしない。それが現状。

・大多数の生徒は中学校レベルの語彙力も文法力も身に付いていない。だから時間をかけてでも土台を作っていくのが望ましいのでは。

・「コミュニケーションスタイルの楽しい授業」と頻繁に言われているが、授業が楽しいことと定着するかどうかは切り離しても良いのではないか。正解が一つの問題は奨励されていないが、テストの際には割り切って考える必要もあると思う。

その後、各グループでまとまったこと見解を発表したのですが、私のグループの番になって発表しているとき(発表係は私でした)、他のグループの人たちも、私たちの主張を深くうなずきながら聞いてくれていました。

しかし、全グループの発表が終わり、それに対して教育委員会の担当者が講評をしたのですが、その人は次のようなことを言いました。

(引用開始)
①皆さんと同じような悩みを抱えながら克服した先輩教員がいます(つまり、オールイングリッシュでコミュニケーションの授業を確立させた教員がいる)

②皆さんは、学力の低い生徒や定時制の生徒にオールイングリッシュでの授業は出来ないから、日本語を使わざるを得ないと結論づけていますが、今回の学習指導要領を作った太田光春先生は、定時制でオールイングリッシュの授業をやった先生です。

私も定時制の学校に視察に行きましたが、そこでもオールイングリッシュで授業をやっていました。
なぜ出来たのでしょうか? それはその先生が怖いからでしょうか? 全然怖くないですよ。

一つだけヒントを言います。
例えば、What do you want to say? と言ったときに、生徒は答えられないですよね。そのようなとき、生徒は何と言ったら良いのでしょうか?
もしかしたらここで日本語の補助をするかもしれませんが、その後はそれを何回も繰り返しWhat do you want to say?と言ってください。
日本語の補助があったとしても、その次から意味がわかってきますよね。

でも、定着の低いところだったら、それだけでは忘れますよね。
丁寧にやっている先生は、テンプレート作って、黒板にThis week’s questions, What do you want to say?と書いたテンプレートを貼ります。

レスポンスも、I agree.とかI understand. などを提示します。
しかし1回では忘れますよね。でも、テンプレート作って黒板に貼っていれば分かります。そしたら、使えますよね。

(引用終わり。セリフはメモをもとに掘り起こしたものです)

つまり、その担当者の言いたいことは、どんなに生徒の理解力が低くても、あるいは基本的なことができていなくても、オールイングリッシュのコミュニケーションスタイルでやりなさいということでしょうか?
(一応ですが、その担当者は「オールイングリッシュという言葉が一人歩きしていますが、何が何でもオールイングリッシュというわけではありません」といった話を別な活動の時にしました。)

「模範」とする教員の実行例にしても、黒板にテンプレートを貼り付けて、それを生徒が覚えたとしても、それがどこまでその後の学習につながっていくのか私には疑問です。

なぜ「オールイングリッシュ、コミュニケーション、言語活動」と繰り返すのでしょうか?
文部科学省が決めたことだからでしょうか?

こうなると、「結局のところ、この人たちは現場がどうなっているかには全く興味がなく、行政の指針を押し付けることしか頭にない」という感にすらとらわれます。

確かに、立場上言わなければならないという側面もあるのでしょう。
しかしそれならば、せめてそれぞれの学校がどんな状況にあるのか把握しようとは思わないのでしょうか。

現場に立つ者としては、いかに優しい言葉で言われようとも、物腰柔らかく語られようとも、指導的立場にある相手からの現実離れした要求には、腹立たしさと絶望感しか覚えないのです。

本来、研修やワークショップは意見や考えなどを共有するためにあると思っていましたが、このように一方的な主張しかしないことを繰り返している限り、現場の教員にプラスになるとは到底思えません。

文部科学省教育委員会の決めたことを上意下達に押し通すだけのことに、いったいどれほどの意義があるのでしょう? 
こんなことに、これからもずっと血税を使い続けるのでしょうか?

行政の人たちは、オールイングリッシュやコミュニケーションスタイルの授業がうまくいかなかった場合、その責任を現場の教員の代わりに取ってくれるのでしょうか?

学校まで出向いてきて「私が指示しました。責任はすべて私にあります」と管理職や同僚、生徒の前で弁明してくれるのでしょうか?

それとも、「うまくいかなければ、それは行政の方針が悪いからではなく、教員の工夫や努力が足りないからだ」と言って知らん顔でしょうか?

彼らには、その問いに答える義務はないのでしょうか?

お忙しい中、最後まで読んでいただきありがとうございました。

**************

以上で手紙は終わります。

指導主事さんの多くは「オールイングリッシュ」という言葉で教員を指導しているようです。

しかし、文部科学省の高校学習指導要領では「授業は英語で行うことを基本とする」であり、日本語の使用を排除していません。

文科省の「高校学習指導要領解説」には次のように書かれています。
「文法の説明などは日本語を交えて行うことも考えられる。」
「授業のすべてを必ず英語で行わなければならないと言うことを意味するものではない。英語による言語活動を行うことが授業の中心となっていれば、必要に応じて、日本語を交えて授業を行うことも考えられる」

ですから、指導主事さんは、まず「オールイングリッシュ」という言葉の使用をやめるべきです。
(ついでに、この和製英語は気持ち悪く、せいぜい All in English でしょうか。)

指導主事さんや教育行政の人たちに、以下の4点をお尋ねします。

① 授業を英語で行うことの効果に関する実証データはどこで公開されているのでしょうか?

② 学習指導要領の改訂に際して「授業は英語で行うことを基本とする」という規定を入れるに至った理論的・実践的な根拠は、どこに示されているのでしょうか?

③ 学習指導要領の内容を審議したはずの中央教育審議会外国語専門部会の議事録には、「授業は英語で」を巡っての発言はまったく記載されていません。なぜなのでしょうか?

*それどころか、外国語専門部会委員だった金谷憲・東京学芸大教授は次のように発言しています。
「教師が教室で英語を使えば使うほど、生徒の英語力が伸びるという証拠があるかと言えば、私は寡聞にしてこれといったものを挙げることができない」(金谷憲「『オールイングリッシュ絶対主義』を検証する」『英語教育』2004年3月号、大修館書店)

④ これほど高校現場を苦しめている「授業は英語で行うことを基本とする」という方針を、なぜ検証もせずに中学校に降ろそうとするのでしょうか。

「オールイングリッシュ」での授業を指導して回る指導主事さんや教育行政のみなさんは、もちろん、これらの解答をご存じなのでしょうね。

であれば、ぜひ教えてください。

指導方針の学問的な根拠を示すのは、みなさんの職責です。

まさか、学問的な根拠も知らずに「指導」していないですよね?