希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

高校英語教師からの手紙(4)

英語が苦手な生徒が集まる高校にお勤めの若い英語教師からのお便りをご紹介します。

以前、同じ先生からお手紙をいただき、本ブログでも3回にわたり掲載したところ、大きな反響がありました。
第1回    第2回    第3回

今回、その続編が送られて来ました。
2回に分けてお送りします。

個人が特定されかねない情報以外は原文のままで、本人の同意を得ています。

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(引用開始)

江利川先生のおっしゃっていた「指導主事さんのほとんどは、個人的にお話しすると良い人ばかりです。彼らなりに、英語教育を良くしようと思って頑張っています」といったご意見には私も同感です。

私の勤務校に訪問に来た指導主事も、最初は大変人当たりの良い人物に見えました。初めて会ったのは、指導主事訪問の少し前に行われたワークショップでした。

その時点ですでに指導主事訪問があることが決まっていたので、直接挨拶に行ったのですが、そのときには「こちらこそよろしくお願いします。あなたの悩んでいる気持ちは大変よく分かります」と話していました。

しかし、いざ視察に来て話を聞いてみると、やはり行政の人たちがこれまで言っていたことと何ら変わらないのです。

指導主事訪問の何ヶ月か前に行われた研修で会った教育委員会の人たちも、一見すると人当たりの良い人たちでした。

帰り道で話した時には、次のようなことを話しました。

私が教員採用試験をどのように受験してきたか聞かれた際、「いくつかの県を受験して合格しなかったのですが、こちらは偶然にも昨年初めて受けて通りました」と伝えると、彼らは「それは当地があなたを呼んでいたのですよ。ようこそ来てくれました。」と話してくれました。

その間はとても和やかな雰囲気だったのですが、いざ教科指導の話になると、「オールイングリッシュ」、「コミュニケーション」、「言語活動」の一辺倒になってしまうのです。

そして「オールイングリッシュでコミュニケーションの授業は素晴らしい授業」、「文法や暗記に基づく授業は良くない授業」といった論調になるのです。

「先生、楽しくやりましょうよ」とニコニコしながら言うのですが、彼らが言うところの「楽しくやる」という意味の中には「文法や語彙のような基本事項を、飽きないように工夫しながら、分かりやすく丁寧に。できたときには一緒に喜ぶ」といったことが含まれているとは思えないのです。

研修の話の中身を聞く限りだと、彼らが言うところの「楽しくやる」というのは、「オールイングリッシュで、コミュニケーションスタイルの言語活動で」という意味にしか解釈できないのです。

本来、「楽しいかどうか」は主観的な問題だと思うのですが、彼らは「オールイングリッシュでコミュニケーションスタイルの言語活動」にすれば、無条件で楽しくなるとでも言いたいのでしょうか?

(つづく)