希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

日本の外国語教育政策史点描(8)教育刷新委員会(2)

1948(昭和23)年11月19日の教育刷新委員会第11特別委員会第26回会合 には、臨時委員として市河三喜と斎藤勇(たけし)(ともに東京帝大名誉教授)が出席している。

次の第27回会合(同年12月3日)では、臨時委員が市河三喜、井出義行(東京外事専門学校)、石橋幸太郎東京高等師範学校)、相良守峯(東京大学・ドイツ語学)、大村雄治アテネ・フランセ)、一色マサ子(津田塾大学)の6人となった。

会議では冒頭、山崎匡輔主査より文部省の原案である「外国語教育の振興について」が提起された。
その趣旨は次の5点で、それぞれに詳細な実施計画が書かれていた。

一、学校向放送によって正しい外国語を普及すること
二、外国語学習指導用のレコードを大量に製造供給すること。
三、中学校英語教師の現職教育を有効に実施すること。
四、集中教育の方法を研究すること。
五、外国人所有の著作権問題を解決して新鮮な教材を扱うように措置すること。

運用力を高めるためにオーラル・メソッドで教えたいが、優れた教師が少ない。
そこで、放送とレコードによって音声面を鍛え、教員の再教育を実施しようという趣旨が読み取れる。

なお、四の「集中教育」とは、「ある地区に生徒を集中して」トレーニングする方式である。

この会議で市河三喜は、「今焦眉の急で一番必要なことは、英語の先生の訓練だろう」として、「どうしても先生を、非常に困難であっても一と所へ集めて、或いはこちらから出向いて指導する必要がある」と述べている。

1948(昭和23)年12月17日の教育刷新委員会第11特別委員会第28回会合 には、連合国軍最高司令官総司令部GHQ)から2人のアメリカ人が出席し、いわゆるアーミー・メソッドと呼ばれた米軍における日本語集中訓練の概要を報告した。

当時この訓練を受けた語学将校の日本語力は驚嘆の的で、その理論となったオーディオ・リンガル・メソッド(オーラル・メソッド)は、その後の日本の英語教育に大きな影響を与えることになる。

翌1949(昭和24)年1月21日の第11特別委員会第29回会合 では、市河三喜が外国語教師の再教育と外国語教授法の改善策について、井出義行が外国事情の研究を目的とする教育機関設置の必要について詳細に報告し、審議が行われた。

翌2月11日の第11特別委員会第30回会合 で、審議の結果、外国語教育改革に関する中間報告(案)「外国語教育について」を決定し、これを「報告」として次回の総会(2月18日)に提出することになった。

なお、当日の議論では、英語の入試問題に関して、「翻訳式のものは進駐軍から叱られたそうです。文部省も同じく叱られたそうです。それで大変変わりました」との発言があった。

こうした議論を経て、ついに1949(昭和24)年2月18日の教育刷新委員会第90回総会で、第11特別委員会の中間報告「外国語教育について」 と題した外国語教育改革方針が採択され、翌日付で同委員会の第28回建議事項とされたのである。その本文は以下の通りである。

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外国語教育について

わが国の再建が国際活動にまつところが少くないのは多言を要しない。これに備えるため、わが国現下の外国語教育には大いに刷新の要がある。ついては政府においてさしあたり左記の要綱にもとづき適当の施策を実施されることを望む。

    記

一 外国語教師の再教育を組織的かつ継続的になるべく手広く実施するとともに、外国語視学のような機関を設けて外国語教授の改善指導につとめること。

二 外国語教育に関し、外国人特志家(ママ)の協力方を連合軍当局に懇請すること。

三 外国語教育に関しラジオの利用を強化すること。

四 現在の外国語教科書を再検討し、必要に応じて時代に適合する新教科書の編纂に有益なる助言を与えること。

五 地域的に適当な既設学校を選定し、これに外国事情研究機関(スクール・オヴ・フォーレン・スタディーズ)を設けて重点的に外国語教育を推進すること。

六 外国語教育の方法はオーラル・ディレクト・メソッドに重点をおくこと。

なお、外国語教育の刷新に関しては、教授法その他について長期にわたり継続的に調査研究を進める必要がある。これがため国内現存の適当な機関を動員して、この事業に当らしめること。

参考として「外国語教授改善策」「外国語教師の再教育」および「外国事情の研究を目的とする教育機関設置の必要」を添付する。(以下略)

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このように、「学習指導要領試案」(1947)に続く戦後最初の本格的な英語教育方針は、市河三喜が中心となり、井出義行ら屈指の英語研究者が加わって策定された。

その内容を、附属の参考資料と合わせて考察すると、以下の5つの特徴が浮かび上がる。

 ① 外国語教師の再教育が「今焦眉の急で一番必要なこと」(市河三喜)として冒頭に挙げられている。教師の再教育には以下の3方面があるが、訓練の重点を(2)と(3)に置くべきだとしている。

(1)知識の方面(語学並びに言葉の文化的背景全般にわたる学力)
(2)外国語の運用の方面(言葉を話し聞き又書く力)
(3)教える方面(教授法の知識とその実際上の技術)

外国語(英語)教育は、戦前は旧制中学校などの特権的なエリートだけに学ぶ機会が与えられていたにすぎなかったが、1947年度の新制中学校の発足によって大半の生徒たちに一挙に解放された。

その分、英語教育を担当できる教師の不足は深刻だった。

筆者の試算では、新制中学校発足期の英語担当教師のうち、英語教員免許を持つ有資格教員は約1割に過ぎなかったのである 。

このため、外国語教員たちは各地で自発的な英語研究会を作り、英語力と指導法の研修を活発に行うようになった。
こうした各地の英語教育組織が集まり、1950(昭和25)年には全国英語教育団体連合会(全英連)が結成された。文部省も教員研修のために様々な取り組みを行った。

 ② 「外国人特〔篤〕志家の協力」(英語母語話者の活用)、「ラジオの利用」、「オーラル・ディレクト・メソッドに重点をおく」ことを提言し、英語の音声面での指導を強化しようとしている。

刷新委員会は附録の参考資料の中でも、次のように述べている。

「中学校では可能なる限り、Direct Methodによりて外国語を教授し、常に外国語を活きた言葉として取り扱い、学生の生活に直接関連せしめることが肝要である。即ち、外国語を、読み、聞き、書き、語るを全面的に体得するように指導しなければならない。」

そのために、「英語の時間には教師はなるべく英語を『使い』、又生徒も努めてこれを『使わせ』なければならぬ」と述べている。

 ③ 「従来の如く反訳式教授法のみによってはいけない」。「可能なる限り外国語による大意把握や討論法等により、学生の知識を能動的のものたらしめ、独自の批判と結論を誘発するように心懸けることが肝要である」。

このように、翻訳式(文法訳読式)教授法では学生の知識が「受動的なものとなり勝ち」になるとして、もっと能動的な学びになるような方法をとり、「独自の批判と結論を誘発する」ことを提案している。
米国のデューイの教育観に通じる考えで、戦後民主主義の息吹を感じさせる。

 ④ 「入学試験が日本の外国語教育全体を左右する前兆が現れている」として、「来春から発足する新制大学側と新制高等学校側の教育家が協力して解決すべき問題である」としている。

新制大学の発足前にして、早くも「受験英語」の悪影響を懸念している。
日本人にとって「受験と英語」は明治から今日に至るまで一貫して難問なのである。

 ⑤ 教師に検定に似た方法で段位を与える。即ち、英語運用能力をABC位の三級に分け、教師の英語運用能力に従ってこの段位を与える。成績は公表する。

その後、1963(昭和38)年には第1回実用英語技能検定(英検)が実施されたが、そのときの等級は1級・2級・3級の3段階だった。

このように、戦後直後の提言であるにもかかわらず、その多くが今日の英語教育政策と驚くほど共通している。

この点は、今後の英語教育政策史をひもとく中で一貫して実感できることであろう。

(つづく)