希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

「授業は英語で行う」への異論

2009年3月に告示された高校の新学習指導要領では「授業は英語で行うことを基本とする」との方針を盛り込みました。
これは、理論的にも実践的にも重大な誤りです。
しかも、中教審の外国語専門部会の意向を無視した方針です(部会の委員から直接うかがいました。外国語専門部会では「授業は英語で」などという方針を決めていません)。

誰が、何のために、このような現場を無視した方針を勝手に挿入したのでしょう。
こんな政策を続けているから、先の総選挙で国民の怒りを買ったのではないでしょうか。いいかげんにしてほしいものです。
財界と自民党の方針に追随してきた文部科学省は一から出直し、指導要領も撤回すべきです。

そのためにも、まずはこの方針を徹底的に批判しましょう。私は拙著『英語教育のポリティクス:競争から協同へ』の第1章でも述べましたが、ここでは10項目の反対理由をレジュメ風に述べます。
これは7月の大阪大学や8月の立命館大学で開催されたシンポジウムでも発言したものです。

 (1)EFL環境では母語(日本語)の適切な活用が効果的
 高校英語 =「日常会話能力」(BICS) +「認知学習言語能力」(CALP)。特にCALPでは背景知識や文法・構文などの指導を中心に、母語の資産を活用した方が効果的。日英比較などを通じた日本語の再認識、鍛錬、言葉への興味喚起のためにも日本語の適切な使用を推奨すべき。

 「子どもは、母語においてすでに意味の体系を支配(マスター)しており、それを他の国語に転移しながら、外国語を習得する。が、また逆に、外国語の修得は、母語の高次の形式の支配(マスター)のための道を踏みならすのである。」(ヴィゴツキー『思考と言語』)

 (2)学問的検証がない
 新指導要領を決めた中央教育審議会外国語専門部会委員の金谷憲氏:「教師が教室で英語を使えば使うほど、生徒の英語力が伸びるという証拠があるかと言えば、私は寡聞にしてこれといったものを挙げることができない」(金谷「『オールイングリッシュ絶対主義』を検証する」2004)

 (3)学力差を軽視し、英語嫌いを加速させる
 英語学力と学習動機に著しい差。高校入学時の英語力は大幅低下。中3段階で約3割の生徒が「英語が分からない」。英語の授業が「70%以上分かっている」と答えた高校生は39.3%、偏差値45未満では31.5%に低下(Benesse 2007)。大半の切り捨てへ。

 (4)教員の指導実態と整合しない
 「大半は英語を用いている」高校教員は、「OCI」で21.5%、「英語I」で1.1%、「リーディング」では0.4%。「半分以上は英語を用いている」は「OCI」で33.3%、「英語I」では8.4%、「リーディング」で4.3%(文部科学省2007)。過労死線上の教師。教員査定の「踏み絵」に使われかねない。

 (5)語彙の4割増と整合しない
 新指導要領の語彙4割増は、高度な「認知学習言語能力」(CALP)の向上をめざす方針。「日常言語能力」(BICS)の育成にこそふさわしい「授業は英語で行う」と矛盾。

 (6)教師の裁量権を侵害する
 最高裁判例(1976)でも指導要領は教育課程の大綱的基準にすぎない。授業での使用言語の選択などの授業方法まで拘束するのは越権行為。無視しよう。

 (7)協同学習(集団的な学び)に対応できない
 授業は「講義」ではない。教師←→生徒、生徒←→生徒のインタラクションや協同的な学びが重要。それは日本語でも難しい。「授業は英語で」は旧式の教師主導型授業観の反映。

 (8)日本のオーラル中心教授法は失敗の歴史
 パーマーのオーラル・メソッドは不人気、日本語の使用や英文和訳の容認に転換。成績優秀な旧制中学生に英語を週6~7時間課しても、授業を英語で行うことなど不可能だった。

 (9)韓国・中国なども会話偏重を是正
中国:5年間の比較実験をふまえた1999年の調査報告で、コミュニカティブな教授法と伝統的な文法訳読式教授法の「両方をうまく統合した教育が望ましい」(鳥飼2002)
韓国:オーラル重視がEFL環境に不適合と軌道修正を開始。

 (10)どうしてもやりたいなら、巨額の予算と教員研修プログラムが不可欠
 熊本県は1970~89年に英語教員再教育事業(福田1991)。県は毎年50万円の助成金を交付、研修中(8週間集中、夏休み5週間)の補充教員も措置。米国フォード財団やワシントン日米協会の資金援助、約40人の講師を派遣。リスニング基準値に達した教員は約2割から6割に上昇。