希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

7.11慶應シンポ 英文解釈法の歴史的意義と現代的課題(2)

英文解釈法の歴史的意義と現代的課題(その2)

7月11日に慶應義塾大学三田キャンパスで開催される言語教育シンポジウム「英文解釈法再考:日本人にふさわしい英語学習法を考える」のためのレジュメ(その2)です。

このシンポの「ハンドブック」(PDFファイル)は大津由紀雄さんのブログでダウンロードできます。

そこで、私のブログでは割愛した部分を補うなど、増補改訂版を掲載します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2. 戦前までの英文解釈法

2-1. 漢文訓読法から蘭学

 英文解釈法のルーツは、古代の漢文訓読法にまでさかのぼります。
古代の日本人が「文明開化」するためには、東アジアの公用語である中国の漢文を読みこなさなければなりませんでした。

ところが、日本語はSOV型、中国語はSVO型でしたから直読直解が困難でした。
また地理的にも、日本は異言語との音声による交流が困難でした。
そこで生み出されたのが、漢文を日本語風に読み下す漢文訓読法だったのです。

 訓読法は江戸時代の蘭学に引き継がれます。
満足な辞書も文法書もなかった初期の蘭学では、『蘭学事始』(1815)に書かれているように、暗号解読のように原書を読み解きました。

 やがて、長崎出身の中野柳圃(別名・志筑忠雄)(1760-1806)が日本で最初に西洋語の文法を紹介します。

 こうして、文法は闇夜を照らす光明として魔法のような威力を発揮します。
 幕末の英学は、漢文訓読法の伝統と、こうした蘭学学習法とがミックスして発展しました。

2-2. 日本人向けEFL教材・学習法の誕生

 明治前半の高等教育機関では、御雇外国人たちが英語で授業を行っていました。
校内は英語が第二言語として使われるESL(English as a Second Language)環境だったのです。

しかし、明治中期(ほぼ1890年代)に大学教育まで日本語で担えるようになると、英語は日常生活で必要としない外国語(EFL: English as a Foreign Language)の地位になりました。

こうして、日本人に適したEFL型の教材や学習法が模索されるようになります。
その先駆けは、文部省が外山正一らに委嘱して1889(明治22)年に刊行した『正則文部省英語読本』(図1)です。語彙や文法項目が統制され、簡単な会話から本格的な英文読解へと進む構成になっています。

イメージ 1イメージ 2
                【図1】『正則文部省英語読本』

 無生物主語、意味上の主語、分詞構文などを含む日本独自の「学校文法」も、日本人学習者特有のつまずきと向き合うなかで形成され、斎藤秀三郎(図2)らによって体系化されました。

その代表格がPractical English Grammar (1898-99)で、5文型へと集約される分析や、日本人が苦手とする話法、時制の一致、前置詞や、熟語、慣用語句の用法などを詳述し、その後の文法教育や英文解釈法に決定的な影響を与えました。

イメージ 3

                  【図2】斎藤秀三郎

 その斎藤文法を広く普及させたのは、彼の弟子である山崎貞『(新)自修英文典』(初版1913;図3)でした。

イメージ 4

           【図3】山貞『新自修英文典』(1927年版と1967年版)

 この本はロングセラーとなり、現在でも姉妹編の『新々英文解釈研究』とともに研究社の復刻本で読むことができます。山貞の『新々』については過去ログ参照。

 『新自修英文典』の「はしがき」には、EFL環境にある日本人学習者にとっての英文法の意義が明快に記されています。

自国語なら、別に文法などやらないでも相応に使いこなすこともできよう。しかし多国語を学ぶのに母国語に熟すると同じやり方で行けというのは、その国に生れ変れというに等しく不可能である。日本人が英語を学ぶのはたいてい十三、四歳中学に入ってからで、それも一週わずか数時間に過ぎず、英人につく機会などは全然ない者が多い。そういう境遇の者にいわゆる自然法を強いるのは、その愚や誠に及ぶべからずである。(中略)文法を知らずして文を作ろう、本を読もうというのは、舵なくして舟を進めようとするようなものである。

 これを読むと、1978年の学習指導要領で英文法の検定教科書を廃止し、オーラル中心のESL型英語教育政策へと転換した文部省は、「その愚や誠に及ぶべからず」と言えるのではないでしょうか。

 山崎と同様に、旧ソビエトヴィゴツキーは『思考と言語』(1934)で、母語の習得と外国語の習得とが正反対のプロセスをとることを鋭く洞察しています。

いわゆる発音は、外国語を学ぶ生徒にとって最大の難関である。自由な生きいきした自然な会話――文法構造の敏速な正しい適用をともなったそれ――は、非常な苦労でもって発達の最後でのみ達成される。母語の発達が言語の自由な自然発生的な利用からはじまり、言語形式の自覚とその支配(マスター)でおわるとすれば、外国語の発達は言語の自覚とその随意的な支配からはじまり、自由な自然発生的な会話でおわる。この二つの路線は、正反対の方向を向いている。

 ヴィゴツキーの言う「言語形式の自覚とその支配(マスター)」のために、日本の先人たちは学校文法や英文解釈法を体系化したのです。

「彼我の言語〔英語と日本語〕のどこがどのように違うかに注意し、それを、何とか体系化しようとした。そのあとが英文解釈法だったのである」(外山滋比古、1979)。

(つづく)