希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

英語力低下は進歩の結果

「学びの城をうけつぎて」さん、コメントをありがとうございました。

夏目漱石が最近の学生の英語能力不足を嘆いたという話」とは、たぶん以下のことかと思います。

すでに書きましたように、明治後半になると、大学の講義も日本語になりました。英語は教育言語である必要がなくなり、外国語(EFL)として教科目の枠内に収まったのです。
当然、生徒の英語力は低下しました。
文明批評家でもあった漱石は、透徹した分析を行っています。

「英語の力の衰えた一原因は、日本の教育が正当な順序で発達した結果で、一方からいうと当然のことである。なぜかというに、われわれの学問した時代は、すべての普通学はみな英語でやらせられ、地理、歴史、数学、動植物、その他いかなる学科もみな外国語の教科書で学んだが、(中略)国家生存の基礎が堅固になるにつれて、以上のような教育は自然勢いを失うべきが至当で、また事実として漸々その地歩を奪われたのである。」
(「語学養成法」1911:明治44年

以上は、江利川春雄著『日本人は英語をどう学んできたか:英語教育の社会文化史』(研究社、2008)の第1章(13ページ)に出てきます。

日本が植民地ではなく、独立国として正常に発達した結果、母語で高等教育まで受けられるようになり、その結果、英語力が低下したという分析です。鋭いですね!

ところが、平成の現在、文部科学省は財界などの意を受け、「グローバル30」(留学生30万人計画)を実行するそうです。すでに、東大、慶應大、筑波大など、拠点大学が13選ばれて来年から実施になります。

留学生が増えるのは結構なのですが、問題は「大学教育の英語化」です。
留学生の含まれる講義は、日本語ではなく、英語でやれというのです。
英語教育もすべて英語でやれという命令が来ています。

従えば、巨額の補助金が支給されます。

これは、自己植民地化ではないでしょうか。

漱石なら「アホか!」と批判するでしょう。