希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

『英語教育』10月増刊号の愉楽

昨日は大学院の入試。
定員を超える受験生が殺到(?)してくれて、無事に終了。
なかには、このブログを見て「和歌山大学で英語教育を研究したい」と、他大学から受験に来てくれた人もいてビックリ。
ブログの力ってすごいですね。

大過なく終了し、学部長や事務系スタッフと和歌山城に近い居酒屋「城月」に飲みに行きました。
ここの純米日本酒は絶品なんです。(^_^;)

で、家に帰ったら大修館書店から『英語教育』10月増刊号が届いているではありませんか。
今回の特集は「英語教育キーワード2010年版」
とてもためになりますよ。ぜひお買い求めを。

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僕は「協同学習」(28-29頁)を担当しました。

毎年楽しみにしているのが、伊村元道先生の「英語教育日誌」と、柳瀬陽介先生の「英語教育図書:今年の収穫・厳選12冊」

伊村先生の文章は純米酒のように喉ごしが良く、芳醇で、後味が爽快です。

柳瀬先生の驚異的な読書力と、強靱な思考力、的確な文章力には、いつも感動を覚えます。

今回、冒頭に静哲人先生の『英語授業の心・技・体』の紹介が載っており、「圧倒的に読ませる本」と評価しているのですが、実は文章の半分以上が批判に費やされています。この批判が実に面白いのです。(内容は教えません。買ってね。)

次に僕の『英語教育のポリティクス:競争から協同へ』を取り上げてくださいました。
気恥ずかしいので、柳瀬先生によるコメントは詳しく紹介しませんが、まさに「我が意を得たり!」です。著者としてここは言いたいと思ったポイントを明確に言語化してくださいました。

「事実・論理・信念に基づいているから主張に説得力がある」(82頁)。

タイトルに「ポリティクス」なんて付けたら英語の先生は引いてしまうだろうな、と思っていたのですが、こうして評価されるなんて、拙著は本当に幸せなやつです。

さて、実は僕がこのブログ記事を書こうと思ったのは、ここからです。

柳瀬先生は、3冊目に寺島隆吉先生の名著『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギー』を取り上げておられます。

この文章がすごい! 本当にすごいのです。

実はこの寺島先生の本の書評を『英語教育』2010年3月号に書いたのは僕なのですが、今回柳瀬先生の文章を拝読して、「書評というのはこう書くのか」と脱帽し、反省しました。

何がすごいかというと、寺島先生という強力なエンジンを備えた飛行機に、柳瀬先生というもう1基のエンジンが付いて双発となり、そのパワーといい、加速といい、攻撃力といい、倍加されてしまったのです。

証拠をお見せしましょう。柳瀬先生の文章です。

 「また『政治』ですか?」と眉をしかめる方もいらっしゃるだろうか。確かに(あえて蔑称を使うが)「語学屋」は昔からノンポリ・政治音痴が多い。「私は英語が好きなだけですから」というわけだ。そう言いながら実はひたすら現状の権力構造を肯定していることは、与党と官僚の結合権力が盤石に見えた時代には許されたかもしれない。しかし政権交代が起こり、市民一人ひとりが考えてゆかねばならない混迷の時代にそのような怠惰は許されない。与党と官僚に頼ろうとしても、与党そのものが変わる。官僚からもかつてのオーラが消えかかっている。英語教育関係者こそが英語教育政策の第一責任者であることを自負しなくてはいけない。そのためには政治という営みを深く理解しなければならない。
 だから、新指導要領の「英語で授業」は、1年後に出された指導要領の解説で「必要に応じて日本語で授業することも考えられる」とされたから、「英語で授業」批判はもう必要ない、とは言えない。本書の綿密な言説批判を吟味することにより、議論において何が欺瞞であり、何が妥当なものかを見極める力を育てよう。その力なしには、英語教育界は同じ議論を何十年と繰り返すだけだ。
 「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」。先人の歴史に学ぶことができず、自らの試行錯誤からしか学べないなら愚者。それでは自らの試行錯誤からも学べない・学ぼうとしない者は何なのか。私たちは自分自身を愚者以下にしてはならない。」

絶望することの多い日本の英語教育界ですが、こんな言葉を発信することのできる人がいるのです。

闇の中に一条の光を見た思いがします。

英語教育には、まだ希望があるのです。