希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

敗戦直後の受験勉強(木田元の場合)

異常な猛暑で、ついついダラけでしまう。

これじゃいかん、と自分に鞭打って(べつにドMじゃないけど)、少しは勉強しないと。

そんなときには、先人たちの勉強ぶりを書いた本を引っ張り出すことにしている。

今日は、哲学者で中央大学名誉教授の木田元(1928年生)の自伝的な作品『哲学は人生の役に立つのか』(2008、PHP新書)。
(高名にして静かな某氏が、「英語(教育)に哲学なんかいるかよ!」なんて言ってたので、あえてこの本にする。)

この本には、敗戦占領下の混乱期における破天荒な生き方と、受験勉強の様子がリアルに描かれている。

木田は敗戦とともに母校の海軍兵学校が廃校となり、恐いおにーさんが一杯の闇屋に出入りして、18歳にして家族5人分の生活費を稼ぎ出す。
1日で1年半の生活費を稼いだこともあった。(すごいね!)

しかし、やばい仕事。さすがに苦悩がつのり、新設の山形県立農林専門学校にもぐりこむ(無試験同様で入れた)。
しかし、ぜ~ぜん勉強する気がしない。
教師を脅しつけたりして、気がつくと札付きのワルになっていた。

「こんな人間でいいのか。」
人生の意味を考えるなかで、哲学者キルケゴールハイデガーを知る。

やがて思う。「ハイデガーの『存在と時間』を原書で読みたい!」
その一心で東北大学文学部哲学科の受験を決意する。(苦悩こそバネだ!)

ところが、高校1年生レベルの英語がさっぱりわからない。
そこで、木田は1949(昭和24)年の春から1日12~13時間におよぶ猛烈な英語の勉強を開始する。
そのときの様子を、木田は次のように述べている(97~98頁)。

「二ヶ月ほどかけて、まず中学校・高等学校の教科書を全部ノートに写しながら、単語を覚え、訳読するという勉強をしました。そのあとで、荒牧鉄雄という人の『高等英文解釈読本』という旧制大学受験用につくられた、じつによく出来た参考書があったので、それに取り組みました。練習問題もきちんとこなし、これは二回やりました。
 文章までは暗記しませんでしたが、この参考書に出てくる単語を全部思えると六千語になると書いてありましたので、出てくる単語はみな暗記しました。
 それと並行して既製の単語帳を買ってきて、一日四ページ、二百語くらいずつ覚えていきました。日本語のほうを見ながら、英語の単語をワラ半紙に書き、間違えたものには印をつけて、やり直す。一日目は二百、次の日は四百、三日目は六百と増やしていきます。同じ単語を五日ずつ繰り返して覚えていくのです。すると五日目には、最初の日の二百語は五回繰り返して暗記することになります。三日目あたりから、ほとんど間違わなくなりますが、五日間やればほぼ完璧になります。思ったほど時間もかかりません。そこで、六日目には一日目の二百語をはずし、新たな二百語にずらしていくのです。
 このように、毎日単語帳で千語ずつ手で書いて覚えました。さらに、参考書に出てきた新しい単語も単語帳に書いて、同じやり方で覚え、そのうえで練習問題に取り組む。問題をノートに写し、辞書を引いて、訳文もちゃんとノートに書き、正解と合わせて間違えたところはチェックする。そのころの私の力では、これだけやるのに十数時間かかりました。
 そんなふうに時間をかけてので、受験勉強をはじめてからは、寝る時間、食事をする時間以外は、ほとんど机に向かっていました。学校に行くのはせいぜい一週間に一日か二日くらい。学校に行くと、私をかわいがってくれた浅川先生が、図書室の米軍寄贈のアーミー・ブックスからカーライルだのラスキンだのエマーソンだの入試問題定番の評論家の本を探し出し、難問をつくって待っていてくれるのです。その問題に辞書なしで時間を計って挑戦し、採点してもらったりしていました。
 それだけ勉強していると、難しい英文でも面白いくらい解けるようになりました。それに比べると、実際の入学試験などは本当にやさしいものでした。」

ずいぶんと長く引用したが、当時の英語、特に英文解釈の勉強法を知ることのできる貴重な記録だと言えよう。
(この文を入力しながら、僕はすっかりやる気がでてきた!)

木田の勉強法は、単語や英文を手で書き写して、何度も繰り返すことで覚えること。

近年はCD付きの単語帳が市販されており、iPodなどを使えば電車の中でも音声を聴くことができる。
音声面では本当にありがたいが、しょせん単語を覚えるには木田のような執拗なまでの努力が必要ではないか。

書き写すといえば、敗戦直後は物資が極端に不足していたこともあり、しばしば教科書や参考書を手で書き写したという逸話を聞く。

たとえば、渡部昇一上智大学名誉教授)もその一人だ。

けど、長くなるので別の機会に。