希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

明治期の小学校英語教授法研究(5)

新学期が始まりました。
新しい受講生との出会いは、ワクワク、ドキドキ。

その忙しい時期に、ある学会の論文審査委員会と運営委員会があり、10月2~3日の土日は名古屋出張。

事前に11本の投稿論文を査読し、コメントを書き、もう一人の担当委員とメールで相談し、名古屋ではさらに「不合格」の可能性のある論文を中心にみんなで読んで慎重を期し、学会賞候補の論文も読み、合否を判定。

ふらふらですわ~

各地から集まった委員の先生たちが「同志」となり、やがて「戦友」に変わります。
これが何よりも楽しい!

夕食を一緒に食べ、呑み、二次会は名古屋名物「世界の山ちゃん」手羽先を食しました。
じ~ん。感動。
「とても美味しい!」では、この手羽先の味は表現できません。
こんな感じです。↓

めちゃめちゃうみゃー「幻の手羽先」を食わせるどえりゃー店だわ。
まず、これをたのまんといかんよ!「うまい・辛い・もう一本!」と、おみゃーさんもヤミツキだがね!

という次第で、しばらくブログはお休みでした。
<m(_ _)m>

お詫びと言ってはナンですが、日本に一つしかない史料の翻刻シリーズを再開しましょう。

枩田與惣之助(まつだ・よそのすけ)の『英語教授法綱要』(1909:明治42年です。

昨年の12月以来で、第5回目。
この史料の価値や枩田の人となりについては過去ログをご参照ください。

ごく簡単に紹介すれば、『英語教授法綱要』は枩田が愛媛県師範学校の教諭時代に授業資料として生徒に配布した手書き・謄写刷のプリント84葉(168ページ)を自家製本したものです。

京都の枩田家に1セットだけ残された類例のない資料です。
僕は大学院生だった1991年にこの史料を初めて目にして、全身が震えました。

同資料の内容は後に大幅に増補改訂され、枩田が浜松第二中学校校長だった1928(昭和3)年に『英語教授法集成』(菊判494ページ)として謄写刷で自費出版されています。

小学校教員を養成した戦前の師範学校において、小学校英語教授法に関する授業内容はどのようなものだったのか。
この点については、これまでほとんど知られていませんでした。
その点で、『英語教授法綱要』は明治末期における小学校英語科教育法実態の一端を証言する希有な資料です。

2010(平成23)年度から必修となる小学校外国語活動の指導法を考える上でも、貴重な示唆を与えるでしょう。

だから、こうして超レアな史料を公開するのですよ。

随分と前置きが長くなりました。本文に進みましょう。
*一部、判読困難な箇所があり、(?)などで示しています。

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 第四章 本邦小学校英語科の目的

 第二節 本邦に於ける外国語教授の必要

 外国語学習の利益此の如し、然らば我国に於て外国語学習の必要ありや、之れ吾人の今より研究せんとする所なり 而して吾人は外国語学習の一般的利益の上よりの学習の必要なるは之を□〔1字空白〕に再するを止め、次に他方面より之か必要を説かんとす、

 抑も我国最近の文明開化の源泉は何れにあるか、曰く欧米の天地是なり、蓋し我国の今日は維新以来吾人の先輩が外国語の学習によりて欧米の文物を盛に輸入し来れるの賜なり、而して現今我か文物は未た大に欧米の文化輸入を必要となす、何となれば我の文化は到底欧米の其に及ばざればなり、故に外国語学習は我邦に向て実に急なるものといはざるべからず、且つ夫れ今後の国際は昔日のものにあらず、今後の国際は国民と国民との交際なり、今後の国際は外務大臣に一任し能はざるものなり、更にまた経済的方面及個人交際の方面よりも外国語の学習は一日も忽(ゆるがせ)にすべからざるあり、況や其国の消長は外国語研究の消長と並行するものたるに於ておや、

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 第三節 本邦小学校英語科の目的

 第一 法令上及理論上より見たる本邦小学校英語科の位地

 小学校は国民の教育場なり、国民として必須なる教育を施すの場所なり、故に小学校の教育には決して贅沢を許さず、小学校の年限八九年一刻も之を忽(ゆるがせ)にするを許さず、故に小学校の正教科は国民として必須不可欠のものたるべし、故に甲に必要にして乙に無用なるものは之を正教科として平等一如に課することを許さず、今英語につきて考ふるに土地及人間によりて甲には不可欠のものなれども乙には全然無用のものなり、故に之を国民の資格として平等一如に課するの理由を見ず、

 且(かつ)小学校時代に於ける幼弱なる頭脳に向て僅々二三年間の英語教授は到底良果を収むること不可能なり、これ吾人の経験に徹(?)して明なり、
 然れども土地の情況によりては之か習学の欠くべからざるものあり、
 □(?)に於てか英語は之を正科として課するの要なきと共に之を随意科として課するの要あるを見る、
 法令に於ては設置を随意とすると共に生徒の学習も之を随意となせり之れ至当の事といふ(?)、かの一派の識者の如く之を全廃するの要を認めず

 第二、 本邦小学校に英語と限定せる理由

 世界に於ける英語の勢力範囲は経済界なり、欧米諸国の商業用語として英語が比較的多く用ひられつゝあるは事実なり、故に人或は英語を世界語なりと誇称す、
 而して英語国民と我国との関係を見るに、英国とは政治上に日英同盟あり、米国とは政治上に覚書交換せられたるあり、而して我邦と英米間の経済上の関係は到底離るべからざるもの存ず、
 且(かつ)本邦に在住する英米人は諸外人の数を超へ、又我邦人の海外にあるもの亦(また)英米国を最多となす、
 殊に英米二国は地理的関係に於て大に接近せり、

 以上諸種の〔事情?〕を考ふるに我国小学校の外国語には英語を採用するを以て当を得たるものといはざるべからず、然れども之れ唯一面の研究に過ぎず、故に吾人は更に英語外の諸外国語を採用し能はざるかを研究せんとす、

 独(ドイツ)語は近世外国語中最も論理的のものなり、故に厳密なる科学哲学の用語としては最も恰好のものなり、然れども世界一般の人間の生活上には到底英語の如き重要の地位を占めず、且つ政治、経済、地理的関係に於て到底英語と我邦との関係との比にあらず、故に之を小学校の教科とするの理由を見ず

 仏(フランス)語は流麗円滑、貴族並に国際用語としては実に世界的なり、然れども之れ一部的なり、政治上に於ては我と協約の締結あり又経済上の関係も少しとせず、向者〔頃者(けいしゃ) = 近ごろ?〕仏学界なるもの組織せられ之か学習を奨励す、然れども到底英語を捨つて之を採るの理由なきを俣ず、

 其の他露(ロシア)語、伊(イタリア)語、西(スペイン)語等政治上経済上地理的関係上大に我と親密なるものありと雖(いえど)も、何れも英語と我邦との関係に及ばず、

 頃者(けいしゃ)〔= 近ごろ〕清韓語を学習すべしといふものあれども之れ又一部少数者間に必要なるものにして、又英語を排して之に代るの値を有せず、

 以上研究する所の表裏の理由により小学校の外国語は英語を採用すべき理由充分となる。

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蛇 足

小学校で外国語を必修の教科として教えるべきか、選択科目とすべきか。時間数はどうするか。英語だけを教えるべきか、あくまで外国語として多様な言語に興味を持たせるべきか。
こうした問題は、今日の小学校における外国語教育のあり方をめぐっても活発に議論されています。

まさにこうしたホットな問題を、枩田與惣之助は第四章「本邦小学校英語科の目的」で100年以上も前に論じていました。

まず小学校英語科の法令上および理論的な位置づけを考察しています。

戦前の高等小学校における英語科は、1886(明治19)年の小学校令以来、一貫して随意科目(一種の選択科目)という位置づけでした。
枩田は法令をつぶさに分析し、小学校では英語科は「国民として必須なる教育」とは言えないと断じ、一律に課すことに反対しています。
その上で、英語を必要とする地域的なニーズがあり教員を得られる場合には、随意科目として課してもよいとしています。

続いて、「本邦小学校に英語と限定せる理由」を政治的、外交的、経済的関係から考察しています。
その上で、ドイツ語、フランス語、ロシア語、スペイン語、中国語、韓国語を課すことの是非について論じ、「小学校の外国語は英語を採用すべき理由充分となる」と結論づけています。

(つづく)