希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

明治期の小学校英語教授法研究(7)

枩田與惣之助の『英語教授法綱要』(1909:明治42年の復刻
第6回です。

小学校における英語教育のあり方について、法令に基づき、精緻な議論を進めます。
今回は第四章 本邦小学校英語科の目的の最後の部分で、「時間数」と「児童の編成」に関する部分です。

全体の流れが複雑になってきましたので、いまどの位置かを示しましょう。今回は太字の部分です。

第三章 欧米の小学校に於ける外国語科
第四章 本邦小学校英語科の目的
  第一節 近世外国語教授の一般的目的
  第二節 本邦に於ける外国語教授の必要
  第三節 本邦小学校英語科の目的
   第一 法令上及理論上より見たる本邦小学校英
      語科の位地
   第二 本邦小学校に英語と限定せる理由
   第三 本邦小学校英語科の目的
   第四 本邦小学校英語科の設置
   第五 本邦小学校英語科の教授時数
   第六 本邦小学校英語科教授児童の編成
第五章 英語教授の方法

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  第五、本邦小学校英語科の教授時数
 かくて設置したる英語科は幾何の時間之を課することを得るか法令に規定あり、曰く

 第十八条(則)高等小学校各学年ノ教授ノ程度及毎週教授時数ハ第五号表乃至第七号表ニ依ルベシ、
   理科、唱歌、手工、農業、商業ノ一科目若ハ数科目ヲ闕クトキハ其毎週教授時数ハ学校長ニ於テ他ノ教科目ニ配当スルコトヲ得
   英語ヲ加フルトキ又ハ女児及第一学年、第二学年ノ男児ノ為ニ手工ヲ加フルトキハ学校長ニ於テ他ノ教科目中ノ毎週教授時数中ヨリ二時以下ヲ減シ之ニ充ツベシ

 第十八条ノ二(則) 第三十四条ノ規定ニヨリ二部教授ヲ為ス場合ニ於テハ教科目ノ毎週教授時数ハ管
    理者又ハ設立者ニ於テ之ヲ定メ府県知事ノ認可ヲ受クベシ、

第十九条(則) (第十七条)及第十八条ノ規定ニ依リ難キ事情アルトキハ管理者又ハ設立者ハ其ノ事情ヲ具シ府県知事ノ認可ヲ受ケ左ノ制限ニ於テ其時数ヲ増減スルコトヲ得、
    一、尋常小学校ノ毎週教授時数ハ二十八時ヲ超ヘ又ハ十八時ヲ下ルコトヲ得ス
    二、高等小学校ノ毎週教授時数ハ三十時ヲ超へ又ハ二十四時ヲ下ルコトヲ得ス、
    第三十四条ノ規定ニヨリ二部教授ヲ為ス場合ニ於テハ毎週教授時数ハ各部十八時以上トス但シ尋常小学校ニ於ケル年少ノ部ニ於テハ之ヲ十二時マテニ減スルコトヲ得、

故に英語科に用ゐるべき時数は毎週二時以下たるべきなり、

  第六、本邦小学校英語科教授児童の編成
 英語科は随意科となすを得、故に之か学習の児童数は或は極めて小なることあるべきなり、故に法令には数学級の児童を合せ同時に教授せしむる得しめ同時に其の人数は七十人を超過せざらしむ、

 然れども吾人は英語科の教授は能ふ丈同一学力の児童を少数づゝ教授せんことを望む、英語の複式教授の如きは(吾人往々にして見る所なれども)決して望ましき所にあらざるなり、何となれば小学校に於ける英語科は充分に活用せられざるべからざるものなればなり、法令参照すべし、

 第三十三条(則) 修身、体操、唱歌、裁縫、手工、農業、商業又ハ英語ハ数学級ノ全部又ハ一部ノ児童ヲ合セテ同時ニ之ヲ教授スルコトヲ得、但シ裁縫、手工、農業、商業、英語ニ就キテハ児童ノ数七十人ヲ超エサル場合ニ限ル、

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解 説

今回も法令を多用した一見「地味な」レジュメです。

現在では、せいぜい学習指導要領を読む程度で、これほど丁寧に法令(施行規則など)の条文を検討することはないと思います。
が、本来はしっかり教育・学習しないといけません。

教師が法令を熟知していないから、何かが起こるとすぐに教育委員会に頼ってしまいます。
その教育委員会は、ほとんどの場合、文部科学省の通達どおりに仕事をせざるをえません。

そうした結果、文科省の法令解釈に従って末端の学校現場が動かざるを得ません。
これが教育現場の官僚主義と硬直化の原因になります。

法令は一見無味乾燥ですが、その内容に熟知することで、かえって現場の裁量権自治が生まれると言えるでしょう。
反省を込めて見習いたいものです。

さて、枩田(まつだ)は小学校英語科の時間数としては「毎週二時以下たるべきなり」と結論づけています。
実際、私の調査では、戦前は週2時間程度を課す学校がかなりを占めていました。
ただし、石川啄木のように放課後に希望者だけを集めて課外活動として実施したり、宮城県の小学校別科のように中学校の代替機関として週10~12時間も英語を教えていた例外もありました(拙稿『近代日本の英語科教育史』176頁参照)。

最後にクラスサイズの問題を検討します。

明治末期の段階で、1クラスの上限は実に70人でした。
子どもの数がいかに多かったかがわかります。
こうした状況で、対面型の一斉授業が生まれるわけです。

これに対して枩田は、「英語科の教授は能ふ丈同一学力の児童を少数づゝ教授せんことを望む」として、今で言う「少人数・習熟度別クラス編成」を提案しています。

最近の研究では習熟度別クラス編成には弊害の方が多いことが実証されていますが、少人数制についてはきわめて重要な指摘です。

同じく重要なことは、「小学校に於ける英語科は充分に活用」させるべきだと述べている点です。
つまり、小学校英語では、習ったことを実際に使ってみることができる環境が必要だというのです。
それが少人数クラスの要求につながります。

1990年代以降、日本の教育行政は「実践的コミュニケーション能力」を謳いながら、40人学級制をずっと放置してきました。
理念にも問題はありましたが、なにより理念に見合った教育環境がほとんど整備されなかったわけです。
こうして深刻な英語力の低下が進みました。

政権交代後、文科省はようやく35人以下学級に向けて動き出しました。
これでもOECD加盟の先進国中では例外的に多すぎるクラス人数です。

枩田は英語教授法の以前に、教育環境の整備を訴えています。

1世紀前の地味な文章には、宝が詰まっているようです。

次回からは、いよいよ英語教授法に移ります。