希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

明治期の小学校英語教授法研究(10)

枩田與惣之助(まつだよそのすけ)の『英語教授法綱要』(1909:明治42年の復刻と考察。
久しぶりの第10回です。

小学校における英語教授法を検討しています。
枩田の考察の特徴は、内外(特にヨーロッパ)の外国語教授法理論を実に広範に検討していることです。今回はその部分の最後。太字の部分です。

第五章 英語教授の方法
  第一節 欧米に於ける近世外国語教授の諸方法
   第一 読書法
   第二 文法法
   第三 テキスト中心法
   第四 暗誦法
   第五 グアン法
   第六 ベルリッツ法
   第七 エナ学校法
   第八 発音法
   第九 革新派
  第二節 本邦に於ける外国語教授の略史
    読書法時代―文法法時代―新式時代
  第三節 英語科各分科の教授
  第四節 英語教授法

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   第八、発音法
 Wilhelm Vietor (1850 ―) 氏の著により一八二二年〔一八八二年の誤記〕に産出したるものにして、こは外国語其物を用ゐ口頭上の練習に重きを置きたる点は別に新しきものならざるも、其の会話の進程の系統的にして又科学的に組織せられある点は実に出色のものとなす、

先づ単及発音機の練習より始め子音母音を根底より練習し、生徒用書は発音学上の符号によって印刷して普通の綴字を用ゐず、而して発音の練習充分なるに及び普通の綴字を教授す、
又絵画実物によりて実生活の状況を知らしむるに務め、文法は之を帰納的に教授し、作文は先づ会話により後に文章に及ぶ。

(一)此法の利
   発音を正くし、
   談話上の確実なる知識を得しむること
   帰納的に文法を教ふること
   実物絵画により実生活を知らしむること、
   口耳の練習より眼手に及べるは心理的なること、

(二)此法の不利
   文字的練習を欠くこと
   読書力を充分に養ひ得ざること。

   第九、革新派
 Wilhelm Vi??tor氏が一八八二年に革新派の旗を掲げたる以来外国語教授界には絶えず論難行はれ、爾来世に示されたる此方面の研究、日に月に増加し、□□□〔3字空白;雑誌『英語教授』1908年10月号によればBreymannが入る〕氏の調査によれば一八八二年より一八九八年に至る十六年間に公にせられたる論文実に七百〇八篇の多きに達せり、而して□〔1字判読不能〕に所謂The Reform Methodなるものを□〔1字判読不能〕せり、此法の特色は左の如し

 1. Reading forms the centre of institution.
  1. Grammar is taught inductively.
  2. The foreign language is used as much as possible throughout.
  3. There are regular conversation exercises at every lesson.
  4. The teaching is connected with the daily life of the pupil.
  5. Objects and pictures are used in the earlier stages.
  6. Realien are extensively taught, especially in the later stages.
  7. Great attention is paid to pronunciation throughout but more particularly in the beginning.
  8. Free composition is largely substituted for translation into foreign tongue.
  9. Translation into the mother tongue is reduced to a minimum.

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欧米における教授法に関する最後の部分で、フィエトル(Wilhelm Vietor 1850-1918)を中心とした音声重視の教授法改革運動について略記しています。

いわゆるThe Phonetic Methodと呼ばれる教授法の確立には、他にイェスペルセン(Otto Jespersen 1860-1943)やスウィート(Henry Sweet 1845-1912)の功績も見逃せませんが、ここでは枩田は言及していません。

しかし、枩田は特にイェスペルセンについては強い関心をもっていたようで、彼の How to Teach a Foreign Language (英訳版1904)を、広島高等師範学校の学生だった1907(明治40)年に「外国語の教授法を如何にすべきか」と題して抄訳しています(雑誌『教育実験界』第10巻に3回連載)。

音声重視の教授法が興隆した背景には、19世紀における国際貿易の著しい発展による「使える英語」のニーズとともに、学問的には音声学の発達があります。

1886年には国際音声学協会が設立され、上記の3人もみな入会しています。

それに先立ち、フィエトルは1882年に「言語教授は方向転換しなければならない」(Der Sprachunterricht Muss Umkehren! という檄文を発表し、文法訳読法の支持者たちに対して教授法の改革を訴えました。その反響はヨーロッパ全土のみならず、アメリカにまで届いたといいます。

この近代外国語教授法史上の革命的な宣言書は、大野敏男・田中正道両氏によって邦訳され、『言語教育の転換』渓水社、1982)として刊行されました。

両氏はまたフィエトルの Die Methodik des Neusprachlichen Unterrichts 『近代語教授法』渓水社、1985)として翻訳・刊行されています。

併せてお読みください。
現在「コミュニケーション重視」をめぐって議論されていることと同じようなことが、130年も前に論じられています。