希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

充実の3連休(伊藤和夫の新情報を添えて)

充実の3連休でした。

8日(土)、羽田に着くと、足が勝手に神田の古書街に向いてしまいます。(^_^;)
神田駿河台下の古書会館へ。
明治期のスペリングブックや、1909年頃の初級フランス語の教科書などをゲット。

夜は友人たちと浅草で飲みました。
スカイツリー」を眺めながら、貝料理の店「海作」へ。
活きのいい貝料理が絶品で、純米酒ととてもよく合いました。

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浅草は今どき珍しいほど早く店が閉まってしまうのですが、韓国風の屋台がずらっと並んだ一角があり、そこで2次会、さらには3次会。かざらない雰囲気が、ソウル市内の屋台のようでした。

9日(日)は神田の専修大学で日本英語教育史学会の理事会、論文審査委員会、そして研究会。
「斎藤Idiomologyの今日的意義」と題した竹下和男先生の素晴らしい研究発表。
その後、僕の報告「日本人姓名の英語表記の歴史」と、それを受けての討論でした。

この姓名の英語表記は重層的な問題を含んでいますので、さまざまな意見が出ました。
学会の竹中龍範会長が「名+姓」派、副会長の僕が「姓+名」派という具合で、気兼ねなく意見を言い合える学会の雰囲気が、僕は大好きです。
フロアからの多様な意見を拝聴し、自分にはない視点や問題意識に触れることができて、大いに学びました。

遠く鹿児島、熊本、栃木などからも来てくださり、本当にありがたかったです。
僕のところの院生も、和歌山から参加してくれました。(強制なんかしていませんよ。念のため。)

ただ、30部用意したハンドアウトが足りず、申し訳ありませんでした。<m(_ _)m>

もちろん、新年会。
隣の席になった高林茂先生が、なんと東大の学生の頃、横浜山手英学院で伊藤和夫と一緒に英語を教えておられたとのこと。もうビックリです!

伊藤は大学の2年の頃からアルバイトで山手英学院で英語を教え、そのまま専任講師になったようです。
高林先生によれば、当時の英学院は横浜でほとんど唯一の予備校で、大いに繁盛していました。
そのため、講師には破格の給料が支払われており、家計を支える必要のあった伊藤が専任講師になったのは、そのことが理由ではないかとのことでした。

山手英学院の講師陣はほとんどが東大の学生で、そのなかでも伊藤和夫はたいへん真面目で、講師室ではいつも机に向かっていたとのことです。

なお、伊藤の最初の単著『新英文解釈体系』(1964)を出版した有隣堂と山手英学院とは同じ資本系列で、いわば有隣堂が山手英学院を作ったとのことです。
そうした事情で、伊藤の本は有隣堂から出版されたのです。疑問氷解。

さらに、本ブログでも紹介した沢崎九二三の息子の沢崎順之助氏や小池滋氏(のちに共に都立大)も山手英学院で教えており、高林先生はよくご存じでした。

この間、僕はずっと伊藤和夫を追いかけていました。
思いは通じるもの。伊藤と同僚だった人と、偶然隣り合わせになるとは。

新著の原稿は出版社に送りましたが、今回の情報を初稿で追記します。
なお、高林先生に若き日の伊藤和夫と一緒に写った写真を探してもらっております。
見つかるといいですね!

それやこれやで、本日の飛行機から見た富士山はことのほか美しく見えました。

かつて伊藤和夫や沢崎九二三や、高林茂先生らが教えた横浜と後方の富士山を飛行機から撮影しました。

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人生って、おもしろい!