*写真は1970年代前半の国立小山工業高等専門学校(栃木県)
10.21といえば「国際反戦デー」が口を突いて出てくる小生らの世代だが、今年の10月21日は別の意味で衝撃的だった。
地元和歌山市の高校で入試説明会があり、入試委員長を拝命している小生が説明におもむいた。
対応に出てくださった教頭先生はとても温厚な紳士で、「先生の論文は雑誌『英語教育』で拝見しております」と、嬉しいメッセージ。お互い英語教員ということで、すっかり打ち解けた。
小生「斎藤さんは僕の友だちですよ。じゃあ先生は宇都宮出身ですか。僕も栃木県に住んでいました。小山高専の卒業生なのですよ。」
小生「えーっ!」
「僕は1971年の入学で、機械工学科でした。」
「僕は1971年の入学で、機械工学科でした。」
教頭先生「私は工業化学科です。なんという奇遇でしょう!」
記憶が甦ってきた。
小山高専の授業で印象に残っているのは、岩波文庫の魅力を熱く語られた歴史の時野谷滋先生(のちに文部省教科調査官として侵略を進出と変えさせ、歴史教科書問題を起こす)。
英語だけで授業をされるので「キザだな」と思いつつ、意外に優しいので驚いた野中忍先生(今はやりの「英語は英語で」の実践者)。
厳しく英語の基礎をたたき込んでくださった本多俊男先生(東京高等師範学校の青木常雄門下)。
ちょっとエッチな脱線が面白かった国語の小林祥次郎先生(切れ字の専門家だとか)。
英語でも寮監としてもお世話になった吉川邦三先生。
恐かった体育の黒川真幸先生(柔道家)
などなど。
こうみると、教養科目の先生はみな東京教育大系。
小山高専の授業で印象に残っているのは、岩波文庫の魅力を熱く語られた歴史の時野谷滋先生(のちに文部省教科調査官として侵略を進出と変えさせ、歴史教科書問題を起こす)。
英語だけで授業をされるので「キザだな」と思いつつ、意外に優しいので驚いた野中忍先生(今はやりの「英語は英語で」の実践者)。
厳しく英語の基礎をたたき込んでくださった本多俊男先生(東京高等師範学校の青木常雄門下)。
ちょっとエッチな脱線が面白かった国語の小林祥次郎先生(切れ字の専門家だとか)。
英語でも寮監としてもお世話になった吉川邦三先生。
恐かった体育の黒川真幸先生(柔道家)
などなど。
こうみると、教養科目の先生はみな東京教育大系。
人生って、面白い!