希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

『阪出譚話会報告』②(1886)

3連休はいかがでしたか?
僕は大修館書店の『英語教育』10月増刊号の原稿に追われ、文字通り缶詰状態でパソコンに向かっていました。(泣)
雑誌の7ページ分というのは、けっこうキツイのです。

昨日(20日)は大形台風の和歌山直撃で大学は休講。
「ヒマだったろう」って?

いいえ、いいえ、朝から晩まで原稿書きです。
なんせ締切が7月20日。つまり昨日。
朝からずっとがんばって、約束通り20日中に編集部に提出しました。
メールの送信は20日の23時57分!
約束は守りました! ふー。

そうそう、台風の被害は特にありませんでしたのでご安心下さい。
<m(_ _)m>

で、2日ぶりにブログを更新します。

『阪出譚話会報告』の2回目で、今回は第7号(1886:明治19年2月) を紹介します。

阪出(さかいで)談話会は、1885(明治18)年、現在の香川県坂出市(当時は阿野郡坂出村)に住民有志が創設した文化サークル。
そこでの機関誌が『阪出譚話会報告』で、地域の教育文化活動を知る上でとても面白いものです。

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今回、第7号を紹介するのは、そこに「飯陽英学会」なる英語の自主的な勉強会を開設した記事が載っているからです。

図にはないのですが、1ページには「本月〔明治19年2月か〕二十日より坂出倶楽部内に阪陽英学会を創立したるに入会を申込むもの日を追て増加し意外の好結果を見んとするものの如し」と書かれており、参加希望者が多かったことが記されています。

前回も書きましたが、この時期は欧化主義の全盛期。英語学習の希望者が急増し、各地に英語学校や英語勉強会(=学会)が組織されました。
通信教育による英語教育が始まったのもこの時期です。

「規則」に続いて、各コースごとの教科書が掲げられていますので、おおよそのレベルがわかります。
それらを見ると、英学のメッカだった慶應義塾の教科書群に似ているようです。

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文字通りの「英学」の時代で、「英語を」学ぶだけでなく、「英語で」歴史や地理や物理などのあらゆる学問を学ぼうとしていたことが分かります。

ただし、僕にはここに書かれてあるとおりの教材で実際に授業が進められたとは思えません。
これだけの教材を手に入れるのは大変ですし、そもそもこれらを講義できる先生がいなかったでしょう。
あくまで慶應義塾などの事例を参考にして、いわば「理想の」英語学校を坂出の地にイメージしたのではないでしょうか。

と、ここまで書いたところで、「ちょっと待てよ。讃岐・香川の英語教育史なら、香川大学の竹中龍範先生のテリトリーではないか」と思い至りました。

冷や汗。
僕が知ったかぶりしているが、竹中先生ならこんな史料はとっくにご存じかもしれない・・・

で、あわてて先生の論文を探しに走りました。

結果は、・・・・・

「やっぱり!」

竹中先生は論文「坂出済々学館のこと」(『英学史研究』第34号)で、この「飯陽英学会」のことを書いておられ、おまけに規則と教科書も引用されていました(17-18ページ)。
さすが日本英語教育史学会会長!
(泣)

まあいいや。カラーで史料を公開したのは僕が初めてですよ。きっと・・・
(負け惜しみ)