希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

英語通信教育史の新資料

日本における英語の通信教育は、いつから始まったのだろうか。

そんな疑問を抱いてから数年、ずっと資料を追いかけてきた。
この種の資料は図書館にもほとんど無いから、やりがいがある。

本ブログを開設した翌日の2009年9月2日にも、「明治の通信教育資料1」として、以下のように書いている。

「私が調査した限りでは、最も早い時期の通信英語講座としては、1885(明治18)年11月17日から東京学館の『英学自習書(Text-book for Home Study)』が逓信省認可の通信教育教材として刊行されています。」

ここでは「最初の」とは書かずに「最も早い時期の」と慎重に書いている。
よかった!
決して「最初の」ではなかったからだ。

その後の調査をふまえて、拙著『受験英語と日本人』(研究社、2011年3月刊)では、「英語の通信教育機関のうち最も早いものは、私の調査では、1885(明治18)年1月に友常穀三郎が指導した英学速成校で、早大教授となる増田藤之助も学んだ」と書いた(45ページ)。

これは校正中に入手した新資料をもとに、書き改めたものだ。
当初の原稿段階では、前述の東京学館の『英学自習書(Text-book for Home Study)』が、私の手持ち資料では最も古いものだった。

今回、また新しい資料を入手した。
耕英社(東京神田)が1885(明治18)年1月17日から発行を開始した『英学独修新誌 (New Guide Book of the English.)』だ(英語表記はオリジナルのまま)。

拙著で紹介した英学速成校と同じ年の同じ月に活動を開始している。
(拙著を改訂する必要がなくてよかった!)

テキストは週1回土曜日の発行で、1期が6カ月、1年半で修了。

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設立の趣旨は「緒言」に書かれている。左から右に読むことに注意されたい。

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「時勢ニ遅レ」ないためには、最も世界中に広まっている英語を学べという。
グローバル化だ、社内公用語化だと言って英語を学べと脅迫する現在と変わらない。

世は「鹿鳴館時代」と呼ばれる欧化主義政策のまっただ中。
不平等条約撤廃のために、日本が文明国であることをアピールしようとした。
そのために、鹿鳴館では西洋人に擬態した日本人が夜な夜な舞踏会を開催。

文明化のためには文明語である英語が必要だと、一部の小学校で英語教育が始まるなど、英語熱が国民的な高まりを見せていた。

そうはいっても、中等学校の整備は遅れ、英語教師も地方にはほとんどいない。
そうした中で、英語通信教育の需要が高まったのだろう。
この1885(明治18)年ごろから、相次いで通信教育機関が発足したのである。

さて、『英学独修新誌 (New Guide Book of the English.)』の内容を見てみよう。

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目次を見ればわかるように、1冊が8パートに別れている。
1が「発音の要義」
2以降は当時よく使われていた英語教科書の解説で、2の「ウェブスター氏綴字書」は入門期用。
その後、3「サンダー氏第一読本」、4「ウィルソン第二読本」、5「パアリー氏万国史」とレベルが上がっていく。

6の「コックス氏英文典」はお雇い外国人のCoxが日本人学生向けに書いた英文法書の解説。
その後、英会話、書簡文と続く。

第2号を見ると、目次の次が、いきなり5ページ目になっている。
文章も途中でバッサリ。

このように、この初期の通信教育テキストは、各講義テーマごとに分割して連続ページ(通し番号)として、1冊に合体させたものが多い。
だから1冊を通読できない。あとで各講義内容ごとに綴じ直さないと講義の流れがわからない。
事実、テキストをバラバラにして、講義テーマごとに合体させたものも古書店などで目にすることもある(手もとにも何冊かある)。

通信教育では、当然ながら発音指導がむずかしい。
そのため、なんとか英語の発音の仕方を文字で伝えようと、さまざまな工夫がなされている。

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また、英人デニング(Walter Dening 1846-1913)が発音について解説を加えている。
デニングは文部省の委託を受けて英語教科書English Readers: The High School Series (6 Vols. 1887)を編纂するが、日本人学習者の実情に合わず、ほとんど使われなかった。

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リーダーの解説は、単語ごとにカタカナでの発音と語義が書かれ、数字をたどっていくと日本語になるようになっている。
とはいっても、いわゆる「直訳」で、そのままつないでも奇妙な日本語になる場合が多いが。

こうした反省から、その後は「意訳」を添えたものが人気を博すようになる。

「社告方法細則」では「諸官立学校、入学試験問題」にも対応するとある。

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日本における英語通信教育の歴史は、1885(明治18)年1月にまでさかのぼることができた。
さらに前に資料が発見され、記録が塗り換えられる日はいつだろうか。