すごい雨でしたね。
さて,レアな資料が届きした。
資料が少ないということは,英語教育があまり活発に行われていなかったのではないか,とも推察できます。
明治政府は,1877(明治10)年の西南戦争後の財政難により,7校あった官立(国立)英語学校のうち、愛知・広島・長崎・新潟・宮城の各英語学校を廃止します。
英語教育が活況を呈するようになるのは,明治16年(1883年)に鹿鳴館が落成し,いわゆる「鹿鳴館時代」とよばれる欧化主義政策が採られるようになってからです。
各地に英語学校が雨後のタケノコのように誕生したのも,明治20年前後です。
各地に英語学校が雨後のタケノコのように誕生したのも,明治20年前後です。
それゆえ,1879(明治12)年の地方での英語学校の設立は珍しい事例だといえるでしょう。
ただし,神戸区内の入学者は入学金無料ですが月謝は25銭,それ以外の地域からの入学者は入学金が75銭,月謝が50銭となっています。
今風に言えば,神戸市立の英語学校といった感じでしょうか。
「教則」によれば,授業は毎日4時間で,教科は英語学,習字作文,変則英学の3つでした。
等級は入門期の6級から1級までで,1学期が6カ月ですから,標準的には3年間で修了したのかもしれません。
等級は入門期の6級から1級までで,1学期が6カ月ですから,標準的には3年間で修了したのかもしれません。
「変則英学」の内容をみると,初歩的なリーダの学習から初めて,地理書,文典,万国史,経済学などへと進んでいます。
上級生の教材は,商業・貿易実務に必要なビジネス英語の要素が強いようです。
いわゆる「使える英語」を目指していたことがわかります。
いわゆる「使える英語」を目指していたことがわかります。
その意味で,日本における商業教育史の上からも注目されます。