希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

神戸港に英語学校を設立(明治12年)

すごい雨でしたね。

和歌山市では和田川が氾濫し,周囲6㎏圏内が水に浸かっています。お見舞い申し上げます。
私の地域では被害はありません。

さて,レアな資料が届きした。

1879(明治12)年に,兵庫県令が神戸港に英語学校の設立を認可した公文書です。

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明治10年前後の英語教育の状況は不明な点が実に多いのですが,その最大の理由は資料がたいへん少ないことです。

資料が少ないということは,英語教育があまり活発に行われていなかったのではないか,とも推察できます。

明治政府は,1877(明治10)年の西南戦争後の財政難により,7校あった官立(国立)英語学校のうち、愛知・広島・長崎・新潟・宮城の各英語学校を廃止します。

英語教育が活況を呈するようになるのは,明治16年(1883年)に鹿鳴館が落成し,いわゆる「鹿鳴館時代」とよばれる欧化主義政策が採られるようになってからです。
各地に英語学校が雨後のタケノコのように誕生したのも,明治20年前後です。

それゆえ,1879(明治12)年の地方での英語学校の設立は珍しい事例だといえるでしょう。

しかも,神戸港に設立したというのが面白いです。
言うまでもなく,当時は海外との交流はすべて艦船で行われていました。

ですから,今日の成田空港や関西国際空港に代わるものが,横浜港と神戸港だったといえるでしょう。
海外交流の玄関口だった神戸港では,英語をはじめとする外国語が必要不可欠だったのです。

神戸港「英語学校規則」は11条から成り,その第10条をみると,神戸港内の生徒は入学金(束修)も授業料(月謝)も無料だったことがわかります。すばらしい!

ただし,神戸区内の入学者は入学金無料ですが月謝は25銭,それ以外の地域からの入学者は入学金が75銭,月謝が50銭となっています。

今風に言えば,神戸市立の英語学校といった感じでしょうか。

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「教則」によれば,授業は毎日4時間で,教科は英語学,習字作文,変則英学の3つでした。
等級は入門期の6級から1級までで,1学期が6カ月ですから,標準的には3年間で修了したのかもしれません。

「変則英学」の内容をみると,初歩的なリーダの学習から初めて,地理書,文典,万国史,経済学などへと進んでいます。

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発音をあまり重視せず,内容を理解することに重きを置く方式を一般に「変則式」といいます。
慶應義塾などから日本人教師を雇い入れ,一部は翻訳書を使って講義をしていたのかもしれません。

上級生の教材は,商業・貿易実務に必要なビジネス英語の要素が強いようです。
いわゆる「使える英語」を目指していたことがわかります。

関西の商業教育では,大阪市立大学の淵源である大阪商業講習所が設立されたのが1880(明治13)年ですから,神戸港の英語学校はそれよりも1年早いことになります。

その意味で,日本における商業教育史の上からも注目されます。