希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

3.13京大国際シンポ「大学における外国語教育の目的」予稿集(5)

3 月13 日(火)に京都大学人間・環境学研究科で開催される国際シンポジウム「大学における外国語教育の目的」の「予稿集」の続きをお送りします。訳文は「予稿集」のままです。

今回は、私と同じセクションでプレゼンされるケンブリッジ大学のBarry Jones教授の要旨。
要旨というにはあまりに長いので、5000文字に納まらず、最後の方は次回にまわします。(^_^;)

バリー・ジョーンズ(Barry Jones)
ケンブリッジ大学

英語学習プログラムにおける多様な目的:言語能力,言語的および文化的気づき,学び方,そして複言語能力の開発

要旨
学習者にとっての言語学習の目的は,他人との話し合いにおいて,自分たちが使っている言語や技術同様に自分たちが発達させる理解について深めることである。学習者たちは,言語はシステマティックなものであることを理解すべきである。学習者たちは言語学習の中の気づきを認識してきたかを省察すべきである。その気づきとは,たとえ間に合わせであっても,何の規則を自分たちは公式化したか,どの技術を自分たちは深めたり発達させる必要があるかである。

学習者は言語学習のためのストラテジーに気づきそしてその範囲を広げる必要がある。ストラテジーの例だが,学んだことや難問に対処したやりかたを思い出す方法,どの音が問題でそうでないのはどれか等がある。広い意味で,学習者は自律的な学習ができるようになるために学び方を身に着ける必要がある。

学習者は言語使用の社会文化的な側面に気づく必要がある。他者と交流するときにどのような言語を使うことができるのか,自分たちが進歩するためには何が必要なのか,どのような文化的な認識や理解を自分たちがしてきたか,今後さらに追及したいことは何か。

複言語的なアプローチを採用することによって,学習者たちは,言語と文化がいかに関係しているか,言語同士が切り離されたものではないということを体験できる。気づきと知識と理解の組み合わせが学習者の伝達能力を高める。

英語学習にどのような目的があるのだろうか。ヨーロッパでは,英語力があると英語母語話者だけでなく,英語が共通語である人と意思疎通が可能になる。このような共通語が無いと,言語が違う人同士のコミュニケーションは困難もしくは不可能になる。英語はヨーロッパでのリンガフランカであるがゆえに,この道具的目的は大きな動機づけになる。また,英語力があると多様な状況において社会的に有利であるのと同様に仕事への道につながっているように見える。だから,ヨーロッパの親たちは子供に英語を学んでほしいと思う。ヨーロッパでは,ビジネスや商取引だけでなく映画,テレビ,新聞や雑誌,ネット,音楽そしてエンターテインメントと英語はどこにでもある。だから,英語力は高いステータスを持つ。

言語力を使うために,学習者は適切な言語知識と言語技術,つまり語彙,文法,発音,イントネーションなどの習得が欠かせない。たとえば,インターネットに関する情報の理解には題材と内容に特化した言語的能力が必要である。新聞を読むためには,レイアウトやフォーマットの知識やイラストが文章を補完するという認識が必要である。高いレベルでの把握力のためにはより言語の深い理解が必要となる。異なった社会状況において,効果的に反応をするためには,適切な言語使用だけでなく文化的な慣行,挨拶,いくつかの話し方に関する意識やそれらを使う能力が必要である。これらの伝達能力は基本的であり,しばしば微妙なものである。「生まれた環境」と「目標の世界」[(CEFR p103)との間の相似と差異は,言語学習プログラムにおいては,言語学的および文化的レベルでよく探究されなければならない。比較を可能にするためには,外国語とその文化の理解だけでなく,学習者自身の言語とその働きに関する理解が必要がある。

自分のアイデンティティーや文化を理解する力は寛容さを発達させるのに基本的である。自分とは違うものや言語的で文化的多様性はすべての社会において存在しているものであるから。言語的な学習や文化的な気付きの促進以上の目的も考慮に入れられなければならない。外国語を学ぶときに,学習者間で異なったストラテジーが使用される。

英語学習プログラムではこれらのストラテジーは,認識され,明示化され,発達させられなければならない。例えば,クラス内での交流において,これらのストラテジーは,主体的に動くこと,助けや説明を求めることそして繰り返しの求めを含む。CEFR では,これらのスキルは「実存的能力」 (CEFR p12)としている。加えて,言語の中でパターンを認識する能力としての「宣言的知識」( CERF p12)がある。それらは,学ばれている言語の中だけでなく自分の母語の中にもある。比較をすることにより,言語は気まぐれなものではなくシステマティックなものだということが明らかになってくる。もし,学習者がシステムを認識したら,かれらは,時においては間に合わせかもしれないが,自分の言語を作り出すことに役立つ規則を確立させることができる。このことは,英語母語話者で母語を習得中の子供が,‘Daddy caught the ball.’の代わりに‘Daddy catched the ball.’と言うことがあることからもわかる。このことは英語を外国語として学習している人の話し言葉でも書き言葉でも起こる。したがって,この現象はのちに発達が可能な部分的な理解力について説明している。誤りの性質についての気づきは重要である。この気づきは習得への肯定的な段階である。

言語学習には他の多くのストラテジーも必要である。その一つ一つが学ぶことを身に着けるための積極的なタスクである。学習者はどのように学んだのか省察することを奨励されなければならない。学習者は,何が言語学習を促進しまた何が妨げるのかを見つけなければならない。学生たちは,他の学生や先生との話し合い,自分のやりかたを比較し他者から学ぶべきである。記憶したり,言語の中の異なる音に気づいたり,そしてすでに出会った言語を応用したり,再利用することは技術である。そしてその技術は,ストラテジーを明示化したり評価することを意識している学習者ができる。教員そして学習者自身は意識的な方法で,単語,表現,文法という言語を言語的および文化的に覚えやすい状況に埋め込んで暗記する方法を工夫しなければならない。学習者は,詩や文章を読んだり,歌を聴いたり歌ったりして言語の音に敏感にならなければならない。自分のコミュニケーションの目的に使うために学習者は幅広いオーセンティックな話し言葉や書き言葉からとられた文化的な特徴だけでなく言語的な特徴も選び適合させることができる。学習者は「新しい経験を前から持っている知識に入れ込むことを観察し行う」。 (CEFR p106)

学ぶ能力は教室の内外での社会的な交流によって高められる。2 人であろうと数人で
あろうと,学習者は,話し聞く,書き読むと,誰かと協働する。もし,学習者が協働プロジェクト,問題解決,指示に従うこと,共に物語を作る,対話や簡単な劇の演じ,発表物の作成,自分たちの文化のある面の促進等の適切な課題を与えられれば,学習者は,その状況の中で,または進んだ段階で,リハーサルをして学ぶモデルではなく,慣れ親しんだ言語でもって,自分たちのアイディアを,記述,レポート,文章への反応,映画の批評などという形でもって,自分たちの言葉を作るための実験をすることができる。

このようなアクティビティは学習を促進するために考案される。学習の機会の範囲を選ぶ教師の役割は重要である。教師はタスクを与えるときに。ふつう明確な学習およびパフォーマンスの目標を持っている。理想的には,教師は学習者と共に行ったり開発できる特定のコミュニケーション活動を選ぶ。学習者の話し合いでは,どのような言語的および文化的な知識やスキルと関連のタスクが要求されているかを特定する。学習者はこのプロセスにおいて積極的な参加者になる。目的が明示的で広く討議されれば,学習者は教師の指導内容の選択が気まぐれなものではないことにより理解できる。目的は学習の結果をもたらす。このことがわかれば,学習者は,自分たちまたは集団的のために,自分たちが達成したこと,どこでどう自分たちが向上したか,自分たちの将来ためにどのような目標をセットできるかを評価できる。学び方を身に着けるためには,支援してくれる教員や協働学習がある状況を伴った自己批判的な態度が必要である。

コミュニカティブな活動の魅力を高める点で言うと,外部からのお客が学習者のパフォーマンスを見に来るとき,彼らの反応がすこぶるいいことが多い。外国語学習者を動機づけるのは何かという調査で,現実の興味としてしばしば言及されるもの一つは外国の同年齢グループとの接触である (Jones and Jones 2001, QCA 2006)。 学習者が何か新しいものを発見する,社会的交流に従事する,他人の信条や態度や行為を発見する,比較する,そんなことするために言語を使う機会を持つと,学習は強化される。「自分とは違うもの」について考えると,そのような機会が得られる。

文化的次元は外国語プログラムの基本である。外国の学校と交流するプロジェクトを学習者が協働して実施し,そのために英語でのエッセイ集を何回か送るとする。そのプロジェクトでは文化は重要なものとして位置づけられる。そうすると,以下のシナリオが説明として役に立つ:プロジェクトの相手は,英語を話す国の英語話者だけである。そのエッセイ集は当然英語で書かれる。学習者たちは適切な内容を選ぶために,エッセイの読者についてもっと知りたいと思い,メールで,名前,年齢,家族のこと,趣味や興味,住んでいるところの様子,例えば,都会か田舎か,将来の夢などについて聞かなければならない。それで得た知識を考慮に入れて,学習者たちはディスカッションで,相手に自分たちの何を伝えたいかを考える。つまり,自分たちの国や文化の特徴の何を相手に知ってもらいたいかである。学習者たちは,写真や文章や記事などに描かれた自分の国について感想がきたら,それにコメントしたくなるだろう。そして相手の感想と自分たちの文化に対する意見と比較したいと思うようになるだろう。学習者たちは外国にいる相手が何を発見したいのかそして何を尋ねるべきかを討論しなければならない。具体的には,例えば,好むまたは好まない意見,家族,興味・関心,国民的行事,文化的なこと,個人の態度,価値観,意見,行為,ステレオタイプに対するリアクションなどであろう。

このような交流は,言語的または文化的な内容がある。学び方を身に着けることは協働学習やグループディスカッションによるこのような例によって達成される。誠実な相手との相互交流が基本である。そのことは目的のあるコミュニケーションを保証するし,どのような言葉や文化が言語学習において相互依存の要素であるかを説明する。学習者が選んで作り上げた作品の交換は,お互いの母語では分かり合えないが,英語が学ばれている国,英語がコミュニケーションの言語で,いわゆる英語をリンガフカンカとしている国では起こりうることだ。外国語として学びあっている2 つの異なる国の学習者たちはこのような交換に参加することができる。英語を唯一のコミュニケーションの手段として使用することは,英語学習の価値の対する理解を付け加える。
(酒井志延訳)

(つづく)