希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

筆記体が消える?!

「エッ! 今の子は筆記体を知らない?」

こう題した記事が,「読売ファミリー」6月6日号に掲載されました。

実は,この問題に関しては,同紙の南真由美記者が先月私の研究室に来られ,丹念に取材されたのです。

イメージ 1

幕末に日本で初めて作られた英語の本は,『諳厄利亜興学小筌』(1811)をはじめ,ほとんどが筆記体で書かれていました。

明治以降もペンマンシップと呼ばれた筆記体教本によって,英語学習の入門期には筆記体を含む英文字を学ぶことが普通の姿でした。

美しい文字を書くことは心を磨くこと。
そんな書道文化も反映していたのでしょう。

しかし,「ゆとり教育」の名の下に,中学校の外国語(英語)を週4時間から3時間に削減した2002年度実施の学習指導要領では,「生徒の学習負担に配慮し,筆記体を指導することもできる」として,実質的に指導しなくてもよいと転換しました。

週3時間では,筆記体を指導する余裕はありません。

外国語が4時間に戻った本年度実施の新学習指導要領ではどうなるかが注目されましたが,やはり「筆記体を指導することもできる」のまま。

こうして,高校生,いや大学生でも筆記体が読めない,書けない人が増えています。

かく言う私たちも,パソコンやケータイのキーを押すばかりで,文字を手書きする機会がめっきり減りました。

記事の末尾で私が述べているように,「文字文化を変える文明史的な転換期にきているのかもしれません」

「いやま筆記体は”絶滅危惧種”なのです」

でも,なんだかとても寂しいですね。

始めて英語の筆記体でサインをしたとき,なんだか大人になったような高揚感がありました。

あれって,いいもんなんだけどなあ。