8月24日にコメント蘭に書き込みをいただいた神奈川の中学校で英語を教えておられる「ロイ・オービソン」さんの言葉がずっと気になっています。
以下の内容です。
「実際の英語教育が歪められてしまっており、生徒たちの中に協力原理ではなく競争原理が働いているという現状を考えると、私は学校で英語を教えるのを苦痛に感じてしまいます。しかも少なくとも制度面を変えることは、現場の教師にはできません。無力感、閉塞感にとらわれます。江利川先生のブログの名前のように、私自身も希望を見出して英語教育に携わっていきたいものです。学習指導要領、教科書、入試制度といったさまざまな制約の中でどうやって希望を持って英語を教えたらいいのか、ヒントを教えていただけるとありがたいです。」
お気持ちは本当によくわかります。
私も,ときとして同じ気持ちになります。
私も,ときとして同じ気持ちになります。
結論から言うと,私は「希望はある」と思います。
競争と格差ではなく,協同と平等の原則にもとづく小人数グループでの「協同学習」(collaborative / cooperative learning)を取り入れた授業改革が急速に広まり,学力・学習意欲の向上や,いじめなどの問題行動・不登校・退学の減少など,各地でめざましい成果を上げているからです。
協同学習を核とした学校改革である「学びの共同体」づくりを進める学校は急速に増え,2012年には小学校で約1,500校,中学校で約2,000校(公立の約2割),高校で約300校に達し,海外にも広がっています(佐藤学『学校を改革する:学びの共同体の構想と実践』岩波ブックレット,2012)。
部分的に協同学習を取り入れている授業は,その何倍もあるでしょう。
日本でも,協同(協働)学習の成果が広く認知されるにつれて,最近では政府サイドも推奨するようになっています。
2010年6月に閣議決定された「新成長戦略」では「子ども同士が教え合い、学び合う『協働教育』の実現」が盛り込まれました。
文部科学省も2011年4月に発表した「教育の情報化ビジョン」で,一斉学習や個別学習に加えて,「21世紀にふさわしい学び」として「子どもたち同士が教え合い学び合う協働的な学び(協働学習)を推進すること」を明記しました。
このように,協同(協働)学習は21世紀型の学びのスタイルとして着実に定着しつつあるのです。
英語科における協同学習の基本原理と実践方法および実践事例については,今年中に私の編集で出版を予定しています(いま,校正に追われています)。
いましばらくお待ちください。
いましばらくお待ちください。
さて,生徒や先生たちを息苦しくさせている最大の原因は,「新自由主義教育政策」にある私は考えています。
これによって,教育予算を削減し,競争と格差を人為的に煽り,グローバル戦士として使える少数の英語が使えるエリート育成だけを学校に求め,他の大多数を切り捨てる政策を進めているのです。
佐貫氏は,第1章「新自由主義教育改革の20年を問う」のなかで,次のように述べています。
「新自由主義の本質は,グローバルな展開によって巨大な利潤を獲得しようとする多国籍資本,巨大なグローバル資本の要求に沿って,国家権力という強権と市場の論理を用いて,社会を大きく改変することにある。その直接の目的は,①国家組織と国家財政を動員し,巨大企業の活動,利益確保を支援すること,②従来の企業活動にたいする各種の「規制」の緩和ーーそれは同時に労働者や国民の人権や福祉の切り下げを意味する,③国民の人権や生活を守り発展させるための各種の公共的しくみの後退,解体,そのための公費の縮小と撤退,公共的サービスの市場化,民営化,自己責任化,④資本のグローバル競争を担う人材養成への取り組み,または不可避的に生じる社会の解体,格差と貧困の増大にたいする国民統合のための教育,ナショナリズムの喚起などにある。」(32ページ)
このうち,特に「④資本のグローバル競争を担う人材養成への取り組み」の部分を読めば,近年の英語教育政策でやたらに「グローバル化」が叫ばれ,学校に「使える英語」の養成が迫られている原因がわかると思います。
また,新学習指導要領ではなぜ英語を含む全教科で愛国心や奉仕の精神を含む道徳教育を進めているのかもわかります。
格差化・階級分化によって「不可避的に生じる社会の解体,格差と貧困の増大にたいする国民統合のための教育,ナショナリズムの喚起」のためです。
学校現場での異常なまでの日の丸・君が代の強制も,そのためです。
敵は新自由主義教育政策です。
なので,次回も佐貫氏の所論をさらに検討していきたいと思います。
(つづく)