希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

格差に抗し,全員を伸ばす英語教育へ(5)

日本協同教育学会から研究紀要『協同と教育』第8号が届きました。

巻頭に関田一彦先生の「協同教育と私」を拝読して,感動しました。
少し引用させていただきます。

「協同の原理とは,人が誰かの役に立ちたい,人のためになろうという無自覚な願い(利他性あるいは向社会性)を持っていて,互いにその願いを満たすために協力することができる,ということだと今の私は考えている。脳科学の知見によれば,人はミラーニューロンの機能によって相手を共感的に理解しようとし,オキシトシンの働きで相手と協調する行動を快いと感じるように出来ているとされる。」

「誰かの役に立ちたいという願いを様々な学びの場に即して効果的に発揚・充足させる協同的な活動や課題をデザインし,あるいは試みようとする働きを協同教育と呼んでみたい」

そういえば,先日NHKの人類の進化に関する番組で,身体的にひ弱なヒトが,猛獣たちの間で生き残ることが出来たのは,仲間と協調し協力する力があったからだと述べていました。

ヒトの遺伝子には「仲間と協同する」DNAが含まれているのでしょう。
それが,富の偏在と,資本の膨張欲求によって「競争」と「闘争」が一時的(そう,人類の歴史から見れば一時的です)に猛威をふるっているのが「現代」なのかもしれません。

1990年代からのグローバリズムという構造的な暴力(新たな帝国主義)に抗するには,グローバルな民衆の連帯が必要です。

外国語教育はそのために必要なのであり,多国籍企業の利益に奉仕するためのものではない。
そう私は考えています。

なぜなら教育は公的なものであり,主権が存する国民の主権者としての育成に寄与すべきものだからです。

さて,以上をふまえると,文部科学省の「外国語能力の向上に関する検討会」(吉田研作座長)が2011年6月に発表した「国際共通語としての英語力向上のための五つの提言と具体的施策」(以下「提言」)が,どれほど「反教育的」なものかがわかります。

この「提言」に対しては,グローバル企業競争を担う一部英語エリートの育成策であり,英検などの外部試験によって教師と生徒を数値目標で管理することで学校教育を歪める,といった批判が多方面から寄せられています。

○ 日本外国語教育改善協議会は2011年9月8日に,「提言」に反対する詳細な意見書を検討会の吉田座長に提出しました。

大津由紀雄氏は11月5日の日本英文学会関東支部大会で,「学校英語教育のこれからを考える:『国際共通語としての英語力向上のための5つの提言と具体的施策』の批判的検討をとおして見えてくるもの」と題した講演を行いました(大津研blogに資料掲載)。

○ 柳沢民雄氏は「『5つの提言』と現場の外国語教育実践の可能性」を『人間と教育』2012年6月号に寄せています

○ 私も「『国際共通語としての英語力向上のための5つの提言』とWorld Englishes」を『新英語教育』2012年1月号に,「英語力低下と格差に抗し,全員を伸ばす英語教育へ」を『わかやまの子どもと教育』(和歌山県国民教育研究所)2012年3月号に寄稿しました。

詳細は以上の論考と,なによりも「提言」の全文をお読みいただきたいと思います。

その上で,「提言」の問題点を簡潔に指摘したいと思います。

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(1)提言は,中学卒業時での英検3級,高校卒業時での準2級以上を目標に掲げ,各学校に「学習到達目標を『CAN-DOリスト』の形で設定・公表する」ことを求めている。

しかし,語彙数に限っても,中学校新指導要領の約1,200語と英検3級の約2,100語とは整合しない。
文科省自身も「英語教育改革総合プラン」(2009)で,英検は「学校教育において習得した英語力を評価するには適切な指標と言えない」と認めた。

にもかかわらず,またも外部試験で生徒の学力を一面的に数値化し,序列と差別を持ち込もうとしている。

しかも,大阪の教育基本条例に見られるように,CAN-DOリストや数値による目標設定は教員・学校への管理統制とリストラに利用される危険性が高い。

(2)英語教員に英検準1級,TOEFL(iBT)80点,TOEIC730点以上を取得させ,「その達成状況を把握・公表する」としている。

教員採用でも「外部検定試験の一定以上のスコア所持を条件とする」としており,教員を数値で縛ろうとしている。教員採用試験は地方自治体の所轄であり,こうした国の関与は越権行為であろう。

さらに,教員には集中研修を実施し,「日本人若手英語教員米国派遣事業」などの研修も推進するという。だが,この教員派遣事業は「日米同盟の深化・発展のため」の親米派育成戦略の一環であることが明記されている。

(3)「優秀な外国人や,海外で実務経験を積んだり,海外の大学を卒業したりするなどして高度な英語力を持つ日本人」を600人採用するとしている。
英語力だけで勤まるほど,教師の仕事は甘くない。それとも,派遣をエリート校だけに特化するつもりなのか。

(4)英語教育の拠点校を250校ほど形成し,そのための「戦略的な人事配置」を求めている。
英語エリートの育成に集中投資することで,学校間格差がさらに拡大するだろう。

また,「国際バカロレアレベルの教育を実施する学校を5年間で200校程度へ増加させる」としているが,バカロレアの公式教授言語は英語,フランス語,スペイン語であり,日本語では授業できない。
自己植民地化する気だろうか。

(5)学習動機を高めるための方策は,「ディベートやディスカッション」,「英語を使って仕事をしている場面を見せる」,「国際的なディベート大会などに出場する」,「英語で行われている大学の授業を受講する」など上位層向けのみだ。

英語を苦手とする生徒への指導方針は皆無である。学級定員の削減や教員の増員などの条件整備にも言及していない。

*なお,和歌山県教委は,すべての高校の英語授業にディベートやディスカッションを積極的に取り入れる施策を進めている。しかし,必要とされる指導内容は学校や生徒によって多様であり,個々の実態に応じた支援が必要であろう。そのため,高校現場ではこの方針をほとんど実施していない。

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おおよそ,以上のような問題が浮上してきます。

このように,いまや,新自由主義教育政策がもっとも先鋭に実施されているのが英語教育の分野でしょう。

なんとも,やりがいがありますね。

なのでみなさん,しなやかに,したたかに,がんばりましょう!

(つづく)