希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

2010年度の英語教育界を振り返る(4)

9月15-16日の広島市での学会出張から帰り、すぐに新著『協同学習を取り入れいた英語授業のすすめ』(仮題)の2校を終えました。

11月発売予定ですので、最後の追い込みをがんばります。

同時並行に、日本における外国語教育政策の研究も進めているのですが、当然ながら難しいテーマですね。

欲張って、古代の漢学政策に足を踏み入れたら、これがまたたいへんな世界。

16世紀の鉄砲とキリスト教伝来期に触れると、ラテン語ポルトガルと、スペイン語との関係を論じなければなりません。

江戸期の蘭学も飛ばして、1808年のフェートン号事件による英語教育の始まりから論じればいいのでしょうが、そうなると「外国語教育政策」ではなく「英語教育政策」に限定されます。

でも、現在でも学習指導要領は「外国語」を正式の教科名にしているのですから、安易に「英語」に矮小化することはできません。

いっそうのこと、1980年代からの新自由主義教育政策にもとづく「実践的コミュニケーション」重視策から書き始めましょうか。

これなら、怒りを燃料に筆が進みます。

さて、そんな歴史を逆にたどって、「2010年度の英語教育界を振り返る」の第4回目です。
1年分をおおまかに記述するだけでも、こんなにも時間がかかります。

やはり、古代の漢学教育史から始めるのは無理かな・・・

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2010年 12月 PISAで日本の読解力が向上

12月7日、経済協力開発機構OECD)は、2009年の学習到達度調査(PISA)の結果を発表した。
世界の65の国・地域の15歳が対象。

日本は読解力において前回の15位から8位に順位を上げ、平均点も前回2006年の498点から520点へと有意に上昇した。
数学も10位から9位、科学も6位から5位へとわずかに上昇。

ただし、成績下位層の子どもが相対的に多いなど、課題も指摘されている。
格差の拡大を裏付けた。

12月24日、文科省は2009年度における全国の公立学校教員の休職者数などの調査結果を発表した。
病気休職は8,627人と過去最高。

このうち、鬱病などの精神疾患で休職した公立校教員は5,458人(63.3%)で、17年連続の増加。
20年前の5倍という異常事態である。

原因については「保護者や地域住民の要望の多様化、長時間労働、複雑化する生徒指導など様々な要因が重なっている」と分析している。

文科省は2008年に教員の事務負担を軽減するための実態調査を行うよう各教委に通達したが、市区町村教委の43.2%が調査していなかった。
教員が輝けずに、子どもが輝けるはずがない。過労防止に関する対策が急務である。

*現在、文科省は教員の勤務負担軽減を図るため、アンケートなどによる実態把握、専門委員会を設置して実行計画の策定、具体的事例の実践研究などを行っている教育委員会の一覧をとりまとめている。(2012年5月現在、文部科学省調べ)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/uneishien/detail/1324313.htm

2011年 1月 オーラルコミュニケーションの授業(高校)を「英語で実施」は2割

1月21日、文部科学省は「平成22年度公立高等学校における教育課程の編成・実施状況調査」の結果を発表した(全国7,739校が対象)。

それによれば、「オーラル・コミュニケーションⅠ」の授業を「ほとんどを英語で行っている」教員は20%、「半分以上を英語で」は33%、「半分未満」が41%、「ほとんど英語で行わない」が6%だった。

英検準1級以上、TOEFL 550以上、TOEIC 730以上のいずれかを取得した英語教員の割合は48.9%。
英語担当教員同士の授業公開を実施している学校は75.2%だった。

この調査の公表に先立ち、毎日新聞は2010年12月4日の夕刊に「英語だけの会話授業OC 高校の実施率2割足らず」という記事を掲載。

ところが、以下のような誤報に満ちたものだった。

「授業中の会話を英語だけに限定することが決まっている」
「13年度からOCを必須単位とし、授業はすべて英語で行うこと」
「OCを担当できる英語力として文科省が設定した『英語検定準1級もしくはTOEIC730点以上など』の資格」。

新たに必修化されるのはOC(オーラル・コミュニケーション)ではなく「コミュニケーション英語Ⅰ」。
英検やTOEICのスコアは授業担当の資格ではない。
特に問題なのは、大手メディアが「授業はすべて英語で行う」と誤って報じてしまったことだ。

英語教育関係者ら(といっても、実は奥野さんと僕)は、毎日新聞社に対して誤報だと指摘し、文科省も「授業のすべてを必ず英語で行わなければならないということを意味するものではない」として同社に抗議した。

こうして、毎日新聞は2011年1月27日の夕刊に訂正記事を載せた。

*このときの毎日新聞社からの記事訂正通知や僕の返信は、以下の過去ログに掲載。
http://blogs.yahoo.co.jp/gibson_erich_man/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%CB%E8%C6%FC&sk=0

僕の返信にも書いたことだが、誤報の背景には、「授業は英語で行うことを基本とする」という重大な規定が、十分に議論されないまま、唐突に指導要領に盛り込まれたという事情がある。

この方針は中教審外国語専門部会の議事録に掲載されておらず、議論された形跡もないのである。
方針の正当性を支える理論的根拠もデータも示されていない。

むしろ、母語の適度な利用が外国語学習の効率を高めるとする研究成果が出ている。

たとえば、亘理陽一「外国語としての英語の教育における使用言語のバランスに関する批判的考察 : 授業を「英語で行うことを基本とする」のは学習者にとって有益か」(北海道教育学会『教育学の研究と実践』第6号、pp.33-42, 2011年)など。
http://ci.nii.ac.jp/naid/40019146199

文科省の「学習指導要領解説」では、「英語による言語活動を行うことが授業の中心となっていれば,必要に応じて」という限定は付けているが、「日本語を交えて授業を行うことも考えられる」と、事実上の軌道修正とも取れる書き方がされている。

役所の文章では「原則とする」だとmustの意味になるが、「基本とする」なので解釈に幅を持たせているわけだ。

そうではあっても、2013年度からの新指導要領実施を前に、授業を「すべて英語で行う」との誤解が広がることが懸念される。

行政サイドでは「原則として英語で」という誤った表現もよく聞かれる。
正しい理解が必要だ。

その意味で、この誤報事件が世間の誤解を解消するきっかけになれば、「けがの功名」なのだが。

(つづく)