希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

「外国語教育の4目的」の50年(2)

ロイ・オービソン」さんから、本質にかかわる素晴らしい書き込みをいただきました。

コメント欄は500字が限度ですので、こちらで私見を述べさせて頂きます。

臨時教育審議会(1984-87)以降の新自由主義・市場主義的な教育改革(改悪)のなかでも、英語科がもっとも先頭を走らされてきたように思います。

その理由は、外国語科は英検、TOEICなどで計量化しやすいことに加えて、何よりもグローバル化による「英語が使える人材育成」への経済界の焦りがありました。
(英語教員は社会科教員ほど抵抗しないからだという仮説は、実証不能です。)

その典型が、文科省の「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」(2003-07)でした。

しかし、焦りは正気を失わせます。
経済界の焦りのために、ESLとEFLを取り違えて、文法や読解を極端に軽視し会話に偏重するという転倒した指導方針による空転が起こりました。

全員に学力を保障すべき義務教育・公教育の場において、著しい格差が進行してしまいました。

この間の英語学力の深刻な低下については、このブログや拙著『英語教育のポリティクス』(2009)でも繰り返し述べてきました。
英語教育の「失われた20年」です。

臨教審を経た1990年代以降は、財界の方針がストレートに英語教育政策に反映するようになりました。

それに抗すべき英語教育学者の一部が御用学者化し、歯止めがかからなくなりました。
大学の運営費交付金私学助成金が削られ、研究費の配分が苦しくなる中で、国策に沿う研究には科研費などが優先的に振る舞われました。
「英語ムラ」化です。

他方で、上意下達的な「改革」は学校現場の実態や意見をまったく無視したために、特に高校では方針が教員に浸透せず、むしろ反発を誘い、結果として旧態依然たる一斉型での訳読・解説中心の授業を温存させました。

そうした現状への「ショック療法」(松本茂氏談)として「授業は英語で」を指導要領に盛り込んだのでした。

しかし、「授業は英語で」は学問的および実践的な裏付けがないレベルの低さゆえに、中教審の外国語専門部会での審議も経ないクーデター的な決め方をせざるをえず、したがってまったく説得力を持たず、多くの現場では「あほかいな!」で終わる状況になっています。

「国の方針だから」としてこの誤った方針を推進する(させられる)指導主事さんたちに聞きたいのですが、国の方針として進められた原発が3.11で日本壊滅の瀬戸際の事故を引き起こしたことを知っても、まだ「国策だから」と言い続けるのでしょうか?
(もちろん、個々の指導主事さんの多くが素晴らしい実践家であり、人間的にも立派であることはよく知っています。念のため。)

原発政策と同じで、もはや教師の多くが政府や学習指導要領を信用していないのです。
指導要領を読んでいない、読む気もしない人も多いでしょう。
不幸なニヒリズムです。

学校現場のエネルギーを前向きに引き出せない「政策」は、もはや政策の名に値しません。

しかし、それでもなお、心ある教師たちは教育研究集会や民間サークルなどで研鑽を積んでいます。
授業改革と、教師の力量アップは不可欠だからです。

私は自己改革を棚に上げての教育行政批判にはくみしません。
ある学校では、授業改革に熱心な校長・教頭に協力したところ、組合の先生から批判を受けました。
しかし、授業改革を先頭で担うような人たちが組合をリードしないと、組合がジリ貧化すると思っています。

そうさせないためにも、組合系の研究会にもできるだけ参加して、協同学習を核とした授業改革を説いてきました。

具体的には、和歌山県や全国の教育研究集会(教育のつどい)外国語分科会の共同研究者として、また各地の民間サークルでの講師などとして、何年ものあいだ小中高の第一線の先生たちの実践を拝見し、討議に加わり、交流を深めてきました。

休日を削って、ときには何泊にもわたる自主的な研究会に集まる先生たちの教育への熱意と、高度な実践能力には本当に頭が下がり、何よりも実に多くを学びます。

「外国語教育の4目的」は、こうした先生たちの理論と実践の積み重ね、しかも1960年ごろから実に50年もの積み重ねの中から練り上げられ、3次にわたって改訂・進化してきました。
改訂理由も明確に示されています。

他方、学習指導要領は改訂理由をほとんど明らかにしないまま10年ごとに改訂されるため、現場を引き回し、あるいは厄介なだけの存在になってしまいます。

たとえば、あれほど鳴り物入りで叫ばれた「実践的コミュニケーション能力」の「実践的」は、なぜ
新指導要領で消されたのでしょう?

中学校の授業時数をたった3時間に、語彙を900語にまで減らしておいて、どうして「実践的コミュニケーション」ができるのだと問うた多くの声に対して、文科省はどう答えるのでしょうか?

過去14年間で、高校入学時の英語学力は偏差値換算で7.4も下がってしまったという研究(斉田、2010)や、英語が好きな中学生の割合が9教科で最低レベル(25.5%)にまで落ちてしまったというデータ(ベネッセ、2009)に対して、どう言い訳するのでしょうか?

当時の責任者は、どう責任を取ったのでしょうか?

「英語ムラ」の住民たちは、「原子力ムラ」ほどの利権はないでしょう。
しかし、子どもたちに対する責任は同じではないでしょうか。

以上のような問題意識から、私は外国語教育政策の歴史を本格的にたどり直す必要性を感じています。
(7世紀の律令体制下での漢学政策から勉強をし直しているのですが、ネイティブ信仰はこの時代からあったのですね。)

その一部として、カウンター・ヘゲモニーとしての「外国語教育の4目的」の学び直しをする必要があると思っています。

今回は素晴らしい書き込みに触発されて予定を変更しましたが、次回は「外国語教育の4目的」の最初の改訂(1970)についてご紹介したいと思います。

(つづく)