9月のブログでは、英語教員らによる「外国語教育の4目的」を5回にわたって紹介してきました。
英語科教育の根本的な哲学・理念である「目的論」がふらついていると、あるいは無自覚であると、日々のさまざまな実践の意味づけ・意義づけが、あいまいで不本意な方向へと進んでしまうからです。
(メタファー)
ナイフの研ぎ方(スキル)だけを教えても、そのナイフが人を殺すためなのか、友人を温めるシチューを作るためなのか(目的)によって、意味・意義が一変する。
ナイフの研ぎ方(スキル)だけを教えても、そのナイフが人を殺すためなのか、友人を温めるシチューを作るためなのか(目的)によって、意味・意義が一変する。
1962年に始まる「外国語教育の4目的」だけを他の目的論から切り離して論ずることもまた、一面化を招きます。
この10月から大学院の授業の一部として「目的論の変遷史」を扱うこともあり、日本における英語教育目的論の流れをレジュメ風にメモしておきます。
0. 何のために、誰のために英語を学ぶのか
① How toの技術主義に陥るまえに、根本問題の考察を。英語教育の思想。
② 英語教育一般と英語科教育(公教育における英語教育)との区別を。
Q. 英語教育の目的は何か?
1. 日本英語教育史における目的(国家目標)の変遷
② 文明開化=近代化・資本主義化のための英語:明治前期~戦前期;後発国としての英国と西洋文化の受容・摂取。
☆中学、実業学校、高等小学校などの学校種による目的論の相違(後者ほど実用主義的)
③ 国際社会復帰のための民主主義国民教育としての英語:1947・52指導要領(試案)
④ 「高度成長」のための「役に立つ英語」:1958指導要領(告示)以降 *「教養目的」が消える
2. 目的論論争としての英語科廃止論
B 非効率性からの廃止論
C 義務制化への反対と必要者のみの選択制化
D その他(英語帝国主義論、英語支配論など)
1890(M23) 高等小学校の英語科廃止論台頭 ABC
1927(S 2) 藤村 作「英語科廃止の急務」ABC
1955(S30) 加藤周一「信州の旅から――英語の義務教育化に対する疑問」C
1974(S49) 平泉 渉「外国語教育の現状と改革の方向」BC
1990年代 英語廃止論としての「英語帝国主義論」。外国語教育の多様化要求。D
(つづく) *明日が論文の締切のため、時間がない!