希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

就活・ゼミ選考で悩むキミへ(協同のすすめ)

2012年も今日で終わり。

掃除も済ませ、こたつで本でも読もうと思ったら、内田樹先生の『街場の教育論』(ミシマ社、2008)が眼にとまりました。

本というのは、ときに人間に語りかけてくることがあります。

年内最後のブログを締めくくる「ことば」を探していた僕に、この本が語りかけてくれたのです。

同書の第9章「反キャリア教育論」から、珠玉のことばを引用しましょう。(205-210ページ)

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就職活動をほとんどの学生たちは受験勉強と同じものだと考えてスタートします。これは選別である、と。競争である、と。優秀とみなされた人が選択されて、そうでないとみなされた人が落とされる、個人の能力の「格付け」である、と。それなら、学生たちにはおなじみの選別システムです。子どものころからずっとやってきていることですから。

ところが、就活において、学生たちははじめて「努力と成果が相関しない」という経験に遭遇します。(中略)就活においては、同期の学生たちから見て「どうしてあの人が採用されたのか」わからない人が採用され、「落とされるはずのない人」が落とされます。就活においてはじめて学生たちは、どういう基準で採否の決定がなされているのかが受験者には開示されない選抜試験というものを経験することになります。

就活の可否の基準は実は「個人の能力の格付け」ではないのです。驚くべきことに。

(*こうして、内田先生は大手出版社の人事面接経験者に面接での採否の決め方を聞きます。)

彼らが異口同音に言ったのは「合って五秒」で合格者は決まるということでした。

この人といっしょに仕事をしたときに、楽しく仕事ができるかどうか、それを判定基準にしているから。

(*内田先生は、ゼミ生の選考のときも同じ判断基準を用いるそうです。これ、すごく共感します。)

ゼミは受験校の進学クラスではありません。ここはすでに「実社会」の先駆的形態です。ここは競争の場ではなく、協働の場なのです。個人的に能力が高くても、集団のパフォーマンスを上げることに貢献できない人はここには受け入れられないのです。

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競争を煽り、ランクを付け、格差を広げ、上から脅しつけるような教育には、「人材育成」の視点から見ても、未来はありません。

このことに気付いた各国は、競争から協同へと教育政策の舵を切っています。
仕事の99%は協同(協働)によってなされるのですから。

日本の権力者たちが、まだしばらくは「時代遅れ」の競争主義を続けようとも、破綻は目に見えています。

競争から協同へ。

希望の2013年にしましょう。