希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

超国家企業の英語教育要求

アメリカの大学・大学院などの留学用試験であるTOEFLを、日本の高校生の英語力測定や大学一般入試に使うことなどできません。

そんなことは、少し調べてみればわかることです。
なのに、これほど乱暴な方針がなぜ出されたのでしょうか。

そのことをずっと考えてきました。
その結果、恐ろしい狙い、ないし歴史的な意味が、私なりに見えてきました。

それは、グローバルな企業活動を展開する「日本の」超国家企業の経営者たちが、日本という国民国家の内部で行われている「国民教育」という枠組みが邪魔になり、これを破壊し始めた、ということです。

高校までの日本の学校教育は、文部科学省が定める「学習指導要領」というナショナル・カリキュラムによって統制され、それに基づいた検定教科書によって全国的に実施されています。

世界の先進国には例がないほど国家統制された、国民国家の枠組みでの「国民教育」です。
明治以来の工業化社会に合致した教育システムといってもよいでしょう。

しかし、1990年代の冷戦の崩壊とアメリカ主導のグローバリズム、それと同時期に進み始めた日本型工業化社会の瓦解によって、日本企業は大企業を中心に多国籍化を進め、いまでは企業活動を複数の国家どころか、地球規模で展開する「超国家企業」へと変貌しつつあります。

こうした超国家企業の経営者たちは、日本の学校教育のルールに従って、日本の若者を雇用し、企業内研修で一人前に育て、恩返しに日本国家に納税しよう、などとは考えません。

めざすのは、徹底した自分の利益追求のみ。

超国家企業の経営者たちは、自分たちの利益さえ高めてくれるならば、従業員の国籍は問いません。
パナソニックの2011年度の新卒採用者の約8割(1,100人程度)が外国籍、ユニクロファーストリテイリングも2012年度の新卒採用者の8割弱が外国籍です。楽天でも採用したエンジニアの7割近くが外国籍です。

こうした経営者たちにとっては、国民国家や国民教育という枠組みなどどうでもよいわけです。

TOEFLが日本の学習指導要領に合致していなくても、日常使用しない外国語として学習する日本のEFL型英語教育の原理に合致しなくても、「そんなの関係ない」のです。

超国家企業の経営者たちは、従業員が日本の「同胞」であるなどという考えはもっていません。
ですから、ブラック企業と言われようが、賃金は押し下げ、サービス残業はやらせ放題、辞めれば次を国内外から補充し、ひたすら自分の(自社でもありません)利益を追求します。

ブラック企業」と言われるユニクロファーストリテイリングを経営する柳井正会長兼社長は、個人資産約8,800億円で日本のトップ富豪です(2012年)。
4位の楽天三木谷浩史社長兼会長も約5,200億円と桁外れです。
http://sierblog.com/archives/1611071.html

この2人が、なぜ英語を社内公用語化したのか、なぜ日本の国際競争力低下という危機感を煽り、ひたすら「実用的な英語教育」を訴えているのかはもう明らかでしょう。

「日本の」国益のためでも、子どもたちの未来のためでも、自社のためですらありません。
自分の利益のためです。

その楽天三木谷浩史氏が委員長を務める経済同友会の「教育改革による国際競争力強化プロジェクトチーム」が「大学入試にTOEFL」の仕掛け人であることは、前回のブログで述べました。

三木谷氏は5,200億円もの個人資産を持っているのですから、その一部を日本人生徒・学生用の英語力測定試験の開発のために寄付すればいいのに、などと考えるのは「国民国家」の枠組みでの旧い思考です。

彼らの視野には、国民教育とか、日本国民の未来などという甘いセンチメンタリズムはありません。

ですから、「グローバル・スタンダード」と思い込んでいる(もちろん実際は米国スタンダードですが)、米国で開発されたTOEFLを手っ取り早く利用しようというのです。

TOEFLが超難解な試験? 「そんなの関係ない!」

英語教育も規制緩和

基準に達しない日本人など、大学に入れなければよい、高校卒業資格を与えなければよい、まともな職に就けなくてもよい。「そんなの関係ない!」

どうせ我が社は、英語が社内公用語
ほしいのは、英語ができて、サービス残業をものともせず、辞令一本で海外での長期勤務もいとわない「グローバル人材」というエリートだけ。

いやなら、海外からどんどん英語ができる社員を補充する。

内田樹さんの言葉を借りれば、「彼らにとって国民国家は『食い尽くすまで』は使いでのある資源」なのです(朝日新聞5月8日「壊れゆく日本という国」)。

彼らの教育観の背景にあるのは、大企業を中心とする日本企業のグローバル展開、つまり国境を越えての超国家企業化です。

日本の製造業の海外現地生産比率は1986年の2.6%から2011年の18.4%へと急増しました。

日本経団連経済同友会に加入するような大企業では、特にその傾向が著しいようです。
御手洗冨士夫経団連前会長の出身企業であるキヤノンでは52%、米倉弘昌経団連現会長の出身企業である住友化学では40%にも達しています(朝日新聞2013年5月6日)。

財界が「英語が使える日本人」育成構想(2002-07)や、「英語が使えるグローバル人材」の育成に躍起になっているのは、こうした「お家の事情」があるからであって、決して日本の子どもたちの未来のためでも、日本の国益のためでもありません。

こうしたグローバル企業に関係する人はまだ一部なのですが、政治献金とメディアコントロールによって、その影響力は巨大です。
自社の危機を「日本の危機」として描かせるのです。

ちょうどアベノミクスで潤うのがごく一部の富裕層であるのに、なんだか日本経済全体が活性化しているかのように錯覚させられているのと同じ構図です。

ですから、グローバル化には使える英語、ならば入試にTOEFLもアリか、という気持ちを抱く国民が少なくないのです。

しかし、そんな思い込みのない子どもたちの多くは、世界第9位という日本語の大海の中で、「英語なんかいらない!」「なんで英語なんかやるん?」と冷めた目をしています。

この子たちを相手に、英語教師たちは、少しでもやる気が出るよう、わかるよう、力がつくよう、過労死線上の労働環境の中で必死の努力をしています。

そこに「入試にTOEFL」という爆弾が投げつけられれば、いったい何が起こるでしょうか。

国民国家の解体期に入った現局面で、「国民教育」の枠組みで反論しても限界があるのかもしれません。

未来に向かって、超国家企業経営者のためではない外国語教育論をどう再構築していくのか。

難問が突きつけられています。

今わかっていることは、抵抗せずにはいられない、この超国家企業の英語教育要求を飲むことはできない、ということです。