希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

『英語教育、迫り来る破綻』の読者コメントより(2)

本ブログのコメント欄でも取り上げられている『中央公論』11月号での特集「日本人最大のコンプレックス 英語の憂鬱」は、なかなか読み応えがありますね。

本日のメールによれば、鳥飼玖美子さんはNHKラジオ第1放送(666)の「ラジオ深夜便」の「ナイトエッセー」でも昨今の英語教育問題を論じるそうですよ。10月21日~24日の4夜連続、深夜11:40分頃からです。
http://www.nhk.or.jp/r1-blog/050/170103.html

また、大修館『英語教育』11月号には、日本の英語教育界を代表する、全国英語教育学会(卯城祐司代表)、外国語教育メディア学会(竹内理代表)、大学英語教育学会(神保尚武代表)による<「教育再生実行会議で提案された大学入試制度(英語)の改革案についての意見書/アピール」について>と<アピール>が載っています。(62-64ページ)
アピール全文は↓
http://www.j-let.org/

3学会が取り組みを開始したのは、今年の5月2日。
奇しくも、私(江利川)と遠藤議員(教育再生実行本部長)との朝日新聞紙上でのディベートの翌日のことでした。

3学会の代表者は、「これまで国の言語教育政策から距離をとっていた3学会が足並みを揃えて、具体的な実行プランを、そのロードマップを定めて提案した意義は大きいと考えている。」と自ら述べています(63ページ)。

TOEFLについては、「大学の一般入試にそのまま用いることには問題がある」としています。

対案としては、「第一段階として、現行の大学入試センター試験(外国語)を4技能統合型のテスト形式へと移行させていく」ことなど提案しています。

その上で、「当三学会はこのような新しいテストの開発に関して積極的に協力する」と述べています。

今後も、こうした動きに注目していきたいと思います。

さて、前回に引き続き、私たちの『英語教育、迫り来る破綻』(ひつじ書房)を読まれた方たちからのメッセージをご紹介します(一部抜粋)。

ある高校に新設された「英語が中心の学科で、国際人の養成を目指して設立された」コースに赴任した先生の奮闘記です。

英語教師についてはさまざまに論じられていますが、こうして献身的に努力されている方が多数おられます。

その意味でも、ぜひ生の声を紹介したいと思っています。

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目標は「海外に行きたい高校生ではなく、海外に行かせたい高校生の育成」でした。
1クラス41名でクラス替えは無し。2年時には海外研修が必修。

1期生の授業においては、諸事情によりノータッチであったが、その時の英検2級の合格者は3年生の第3回目でやっと一人が合格。
私が担任になった2期生は3年間で15名、そしてその後8期生の時には卒業までの間にクラスの5割以上を2級合格へと導いた。
何をしたのか。

毎朝、英語の問題を黒板に書いておき、生徒たちは登校とともにその問題にチャレンジ。すべてが文法問題。その問題は1日に8題。すべての問題が定期テストで再度出題。
さらに、定期テストでは、時間無制限、参考書、辞書持込み可というテストを実施。その結果、最高で4時間半テストを受けた生徒もいた。当然、試験監督の私も付き合った。

その結果、生徒たちは辞書や参考書は普段から使っていないと何の役にも立たないことを実感し、テスト後、盛んに参考書や辞書を使い始め、英語の学び方を学んでいった。
そして、英語がわからないときは、どこがわからないのかをはっきりさせるまで答えないことにしていた。
わからないという段階は3段階。
第1段階 英語のつくりがわからない。主語や動詞などがわからない場合。
第2段階 英語のつくりは分かったが、日本語の意味が取れない場合。
そして第3段階 日本語の意味も取れたが何を言っているかわからない場合。
この3段階に応じた指導をしていった。放課後も土日もなく英語に向き合わせた結果、クラスで5割以上が2級に合格。

ただし、生徒たちは合格後は決して2級に合格したとは言わなかった。というのもその時点では確かに2級を合格する力があったのではあるが、合格後勉強しない生徒は見る見るうちに英語力が落ちているのを実感していたからである。

よく冗談で言っていたのが、「台風の瞬間最大風速と同じでその時は確かに2級の実力があった」ということ。今は別。維持する方が大変なのだということを生徒達も実感していた。
我々教師が生徒に教えるべきことは資格を取らせることではなく、学び方、学ぶ楽しさを教えるべきではないかと改めて思った。

海外研修としてカナダに10日間ホームステイし、英語漬けの生活を送った生徒たちを小学校への英語活動に連れて行き、出前授業に参加させ、現在小学校で行われている状況をわからせたうえで、高校生たちに小学校の英語活動について聞いたところ、まじめに英語を勉強している生徒は10人中10人が英語よりも日本語を、国語をしっかりと小学校ではやるべきと答えた。

理由は簡単であった。彼らが高校3年生で学んでいたCROWNのReadingの教科書で、訳された日本語の意味がスムーズに理解できなかったのである。
自分たちの英語を伸ばそうとしたときの最大の壁が日本語力であることに気づいていたのである。
日本語での表現の違い、ニュアンスの違いが理解できないで、どうして英語の表現の違い、言い回しの違いがわかるであろうか。

さらに、この教科書の最後にキング牧師のスピーチが原文のままに掲載されている。最初に、授業で教えたところ、全くと言っていいほど反応がない。
思わず、どうしてアメリカに黒人がいるのかを聞いたところ、ほとんどの生徒がその理由を知らず、さらに人種差別の実態も理解していなかった。これには唖然。

急遽、指導計画を変更し、ドラマ「ルーツ」、英語「ミシシッピバーニング」を見せ、アメリカのALTにも特別授業をしてもらい、それ後教科書を読解。反応がまるで違った。

他の教材は犠牲にせざるを得なかったが、その子たちは最後にはあのスピーチを暗記し、そして卒業後には5人の生徒がワシントンのリンカーンメモリアルまで行き、その場でスピーチを行ったのだ。
その知らせを受けた時、私は彼らこそ、グローバルな人材に一歩近づいたのだと誇りに思った。
相手の痛みを知り、人としての正しさを追求し、どう生きるべきかを考える素地こそが今の若者に求められているのではないだろうか。

<グローバルな人材とは>

さらにこの子たちを海外研修でカナダへ連れて行ったときである。
ただホームステイをするだけでなく、自分たちが何が出来るかを追求させた。
その結果、小学校での日本文化紹介、老人ホーム慰問、障害者施設でのボランティア、さらにはホームレスの食事を提供するところでのボランティア、そしてホストファミリーへのクリスマスパーティなど、やれるべきことをすべてやった。

その結果、何が起きたか。
現地のカナダの高校生たちが変わったのである。
日本の高校生がわざわざ自分たちのお金でカナダまで来たのに、様々なボランティアを生き生きと取り組む姿に日本に関心を持ってくれた現地の高校生。
現地の校長先生から終業式に全校生徒の前で日本の生徒のことを紹介していただいた。

グローバルな人材とはどんな人材を言うのだろうか。
英語が出来るよりも人として魅力がある方が、現地では当然ながら人気者になる。
そして、現地の子が自ら日本語を学ぼうとまでしたのである。

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ありがとうございました。

教育実践に根ざした、珠玉のような言葉が散りばめられていますね。

「我々教師が生徒に教えるべきことは資格を取らせることではなく、学び方、学ぶ楽しさを教えるべきではないか」

「まじめに英語を勉強している生徒は10人中10人が英語よりも日本語を、国語をしっかりと小学校ではやるべきと答えた。」

「日本語での表現の違い、ニュアンスの違いが理解できないで、どうして英語の表現の違い、言い回しの違いがわかるであろうか。」

「相手の痛みを知り、人としての正しさを追求し、どう生きるべきかを考える素地こそが今の若者に求められているのではないだろうか。」

「英語が出来るよりも人として魅力がある方が、現地では当然ながら人気者になる。」

これらを読むと、「小学校英語の教科化」「授業は英語で」「入試にTOEFL等」などの問題性をあらためて考えてしまいます。

こうした教育実践から導かれた教訓こそ、教育政策に活かされるべきなのです。