おまけに懇親会では、姫路を代表する、というか、日本を代表する銘酒「大吟醸 米のささやき」を飲みながら、姫路を代表する、というか、日本を代表する稲岡章代先生をはじめ諸先生方と楽しく歓談でき、この上ない1日となりました。
時間が許す限り学校現場に出向き、英語の授業を拝見し、先生方と直接お話しすることの大切さを改めて噛みしめています。
学校現場がかかえる問題をリアルにつかむことなく、研究室や議員会館にだけこもって作り上げた理論や政策は、ときに害さえ与えるからです。
たくさんの人たちから求められ、嬉しい反面、このような本を書かなくてもよい日が来ることを願っています。
さて、この『英語教育、迫り来る破綻』を読まれた方たちから、7月以降、編集部経由でたくさんの感想やコメントが寄せられています。
アドレスのわかる投稿者にはお詫びのメールを出しましたが、この場を借りて、コメントをお寄せ頂いた皆さんにお詫びいたします。また、何よりも感謝いたします。
また、寄せられた感想・ご意見のなかには、ぜひ皆さんと共有したいと思えるものも少なくありません。
個人情報に配慮しつつ、何回かにわたって一部を紹介させて頂きます。
まずは、高校や教育委員会をへて現在は中学校で教えておられるベテラン英語教師からです。
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日頃より英語教育がますます現場無視のとんでもない方向に向かっていると感じていた折、本書を手にし、一読しました。教育行政の裏側が見え、思わず納得することばかりでした。
現場の不満をぶつけるところもなく、子供たちのことを考えると、いてもたってもいられなくなり、メールを送ることにいたしました。
英語を英語で教えることについて、昨年度末生徒に話したら第一声が「日本語で聞いてもわからないのに、英語で言われたらどうすればいいの?」という一斉の反応があった。
偏差値50程度の真ん中の高校ですら生徒の反応はかようなものである。
偏差値50程度の真ん中の高校ですら生徒の反応はかようなものである。
また、この子たちが入学し最初の英語の授業で、英語が嫌いまたは苦手な人はと聞いたところ、41名中 39人が嫌い。一人がどちらでもなく、もう一人が自信を持って好き。
これは15年前、同じ普通科の1年生に聞いた時は嫌いが30名、どちらでもないまたは好きが11名であった。
明らかにコミュニケーション中心だの、小学校英語だのと騒いでいる間に当事者である生徒たちは英語をより嫌いになっている。
その子たちを相手にどういう授業が可能なのか。これが教師としての最大の悩みであった。
授業の最初に生徒から「先生、赤点でなければいいから」という声があちこちから上がった。
最初から学びの拒否状態であった。
最初から学びの拒否状態であった。
偏差値が50程度の学校でこの状態なのだから、これよりも低い学校のことは考えるだけでも憂鬱になってしまう。
子供たちの「学びからの逃避」という言葉を聞いて久しいが、それが目の前で展開されたときに、一教師として何が出来るのか。
英語の指導法うんぬんよりも今高校生たちにとって一番大切なことは、やる気を引き出すために教師が本気でぶつかることしかないと思った。
彼ら自身の人生に真っ向から向き合わせることが必要であると痛感した。
その壁さえ打ち破れば、あとは生徒たちは自らの力で自立の道を歩んでいくものである。
そのために朝から晩まで土日も返上し、長期休暇も補習を重ねた。
その結果の一例をあげると、高校1年生の時に「卒業後はフリーターでいいから」と言っていた子が、高校時代に参加したタイへのスタディツアーをきっかけにあるタイ人女性と知り合い、その後生徒は大学でタイ語を専攻。タイ語だけは誰にも負けたくないという強い意志で、チェンマイ大学留学、さらにはタイ語のスピーチコンテストで優勝。卒業後はタイで就職。今は、家族3人バンコクで暮らしている。
その壁さえ打ち破れば、あとは生徒たちは自らの力で自立の道を歩んでいくものである。
そのために朝から晩まで土日も返上し、長期休暇も補習を重ねた。
彼女の活躍ぶりは大学のホームページでも紹介され、後輩たちの憧れにもなっている。
会うと必ず高校時代のことを話すのだが、教育の醍醐味がそこにあることに気づかされる。
会うと必ず高校時代のことを話すのだが、教育の醍醐味がそこにあることに気づかされる。
彼女は、私のタイでのボランティア活動も応援してくれている。
英語は2級どころではないが、タイ語はペラペラである。
社会人時代にはバンコクのキャノンで働き、御手洗会長の通訳として、信頼を得ていたようである。
英語は2級どころではないが、タイ語はペラペラである。
社会人時代にはバンコクのキャノンで働き、御手洗会長の通訳として、信頼を得ていたようである。
彼女は英語ができないからグローバルな人材とは言えないのであろうか。
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ありがとうございました。
この先生からのお便りはたいへん長いものですので、また続きをご紹介します。