希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

7年ごしの『日本の外国語教育政策史』8月刊行

東日本大震災のあった2011年から執筆を続けていた拙著『日本の外国語教育政策史』ひつじ書房)が、8月8日に刊行されます。

本日、表紙のレイアウトも決まりました。

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表紙を飾るのは、1887(明治20)年に刊行された『英語図解』。
なんと木版刷りの絵単語集で、江戸時代の浮世絵職人が残っていた時代の作品です。

内容構成は以下の通りです。

序章 外国語教育政策の主体と過程

第1章 古代から近世まで

第2章 文明開化と英学本位制の確立期(1868〜1885)

第3章 近代学校制度の整備期(1886〜1916)

第4章 学校制度の拡充期(1917〜1930)

第5章 アジア・太平洋戦争期(1931〜1945)

第6章 戦後民主主義期(1945〜1951)

第7章 冷戦下の英語教育振興期(1952〜1960年代)

第8章 国際化時代(1970〜80年代)

第9章 グローバル化時代(1990年代以降)

終章 歴史の教訓と今後への提言

附録1 日本外国語教育政策史年表

附録2 日本外国語教育政策史資料

このように、古代から2018年3月の高校学習指導要領改訂までをカバーしました。

そのため、年表や資料集も含めると約500ページにもなり、本体価格も8,200円になってしまいました。

これほど大部になったのは、現在の危機的な外国語教育政策を根本的・批判的に捉えるには、歴史的な流れを正しく押さえる必要があると考えたからです。

そうした問題意識を「あとがき」の一部をふまえて紹介します。

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21世紀に入ったころから矢継ぎ早に出される外国語(英語)教育政策。

その多くが「抜本的改革」を謳ってはいるが、成果よりも、むしろ現場教員の疲弊が極限まで進んでいるように見える。

貫かれているのはグローバル企業の論理であって、子どもたちを幸せにする改革とは決して思えない。

現在の問題の本質をえぐり、未来を展望するには、日本における外国語教育史をもっと歴史的・包括的に捉える必要があるのではないか。

そう考えていた折に、ひつじ書房松本功社長から「英語教育政策史について本を書いてもらいたい」との依頼を受けた。東日本大震災原発炉心溶融事故が起こった2011年6月のことだった。

当初は2年程度で脱稿する予定だったが、実に7年近くもの時間を要してしまった。

その要因は、何よりも私自身の力不足と怠慢にあるのだが、それに加えて、政府の英語教育改革に対する対応を余儀なくされたからでもあった。

大津由紀雄、鳥飼玖美子、斎藤兆史という同志とともに「4人組」を結成し、4冊のブックレットを刊行するなど政策批判の活動をせざるをえなかった。

また、2015年の「戦後70年」に集団的自衛権の行使容認に踏み切るという政策に対して、戦争と英語教育にかかわる2冊の本を刊行して、警鐘を鳴らさざるをえなかった。

こうした一連の仕事は、近年の外国語教育政策の実態と本質をより深く考える契機にもなり、それらの知見は本書にも活かすことができた。

なお、32点に及ぶ政策文書の資料集を付けたのは、私の解釈とは別に、読者各位が、一次資料にもとづいて、政策の妥当性を考えてもらいたいとの思いからである。

もっと薄く安価な本にして、多くの人たちに「日本の外国語教育政策はこれでよいのか」と考えるきっかけにしてほしい気持ちもある。

しかし、現在の政策に関する批判の本はすでに出されているので、より深く、よりラディカルに問題をとらえたいと思った。

その点で、私は10代のころからの以下の座右の銘に忠実でありたいと考えた。

「理論もそれが大衆をつかむやいなや物質的な力となる。理論が大衆をつかみうるようになるのは、それが人に訴えるように論証を行うときであり、理論が人に訴えるように論証するようになるのは、それがラディカルになるときである。ラディカルであるとは、ものごとを根本からつかむことである。」(マルクスヘーゲル法哲学批判序説」)