希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

英語科における協同学習の原理と実践(1)習熟度別の問題点

この1カ月は激動の1カ月だった。
遠足2回にライブにブログに、おまけに論文を4本書いた!
もう、へろへろです。

1. もうじき発売の大修館書店『英語教育』12月号に「もしも教科書検定制度がなくなったら」

2. 日本英語教育史学会の機関誌に「英語通信教育の歴史(1):史的概観と研究社英語通信講座を中心に」を投稿。(これから厳しい審査が待ち受けており、ボツになったらこのブログに載せます。)

3. 『東日本英学史研究』第7号に「欧文社通信添削の地方受験生への貢献」(これもボツになったらブログに載せようかな。)

4. 和歌山大学学芸学会の『学芸』に「英語科における協同学習の原理と実践」(我ながら大それたタイトルだなあ。)

4.は本日提出したもの。
この論文を書くために、佐藤学さんの著作などを集中的に読み直した。さすがに深い。
読みながら考えたことをちょっと書いてみたい。

協同と平等を基本原理とする協同学習(cooperative / collaborative learning)を取り入れた授業改革が急速に広まり、成果をあげている。

佐藤学らが提唱する「学びの共同体」創りを進める学校は、2009年現在、小学校で約2,000校、中学校で約1,000校(公立学校の約1割)、高校で約100校に達し、韓国や中国などにも広がっている。
→学びの協同体研究会講演資料

小泉改革」に象徴される競争と格差の新自由主義的な教育改革によって、教育の危機と荒廃が著しく進んだ。
それと前後して、あたかも傷を修復するかのように、正反対の原理にもとづく「学びの共同体」による授業改革が教員らの手によって推進されているのである。

この間の「教育改革」は幾多の問題を引き起こしたが、その一つが「習熟度別」クラス編成だろう。

習熟度別クラスは教育内容と学習集団の均質化により多様な学びを経験する機会を狭め、学力格差を拡大し、歪んだ差別感・優劣感を助長する。

こうした否定的な結論は、欧米では1970~80年代に明らかになっており、先進国の大半はトラッキング(能力・進路によるコース分け)を廃止した。現在、国際学力比較テスト(PISA)第1位のフィンランドをはじめ上位8位までの国は、いずれもトラッキングを実施していない。

今日の学習心理学によれば、学力の低い子どもだけを集めて低次の内容を教えるのは逆効果であり、基礎的な技能ほど高次の創造的な活動の中で機能的に獲得されるのである。
佐藤学は『学びの快楽:ダイアローグへ』世織書房、1999、269頁で次のように述べている。

「たとえば、スペリングを間違える子どもにドリルで繰り返し教えることは、他の子どもとの学力差をいっそう拡大するだけでなく、子どもの学習意欲を衰退させ、基礎技能の記憶や定着においても効果的ではない。むしろ、他の子どもと協同の作業を組織して高次の創造的活動のなかに参加させ、多くの書物や資料に触れる機会を提供したり、自分の考えを文字で表現する機会を多く与えるほうが、スペリングという基礎技能の習得においては効果的である。スペルの誤りは矯正したり訓練しなくとも、創造的活動と仲間との交流のなかで自ずから修正されてゆくのである。」

こうした専門家の指摘にもかかわらず、財界の意を受けた当時の政府・文科省は、「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」(2003)で「中・高等学校等の英語の授業で少人数指導や習熟度別指導などを積極的に取り入れる」とし、早くも2004年度には習熟度別授業を実施した学校が小学校の6割、中学校の7割に達した。時代錯誤も甚だしい。

では、こうした英語教育の危機的な状況をどう打破すればよいのだろうか。
その手がかりとなるのが、「協同と平等」を原理とする協同学習による学びのスタイルである。

(つづく)