希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

英語教育になぜ・どう協同学習を導入するのか(4)

8月8-9日に和歌山県有田川町清水で行われたゼミ夏合宿が、無事に終わりました。

清流での川遊び、バーベキュー、花火大会、ウノ大会、何よりも楽しい語らい、生石高原でのお弁当。

そのご報告は次回以降にして、「英語教育になぜ・どう協同学習を導入するのか」の第4回目(最終回)をお届けします。


協同と平等の学校改革へ

 協同学習は、教科指導の場であると同時に、多様な考えや個性を持った人々と共に生きるための練習の場である。
言い換えれば、民主主義を学び合い、民主的な社会変革を担う主権者を育てる場である。

 子どもたちに、主体的で協同的に学ぶことの楽しさを実感させ、生涯にわたって学び続ける自律学習者へと育てよう。そのための障害を一つずつ取り除いていこう。

 協同と平等の原理に基づく協同学習を定着させることは、現在の日本では必ずしも容易ではない。
子どもたちは苛烈な競争とエゴが渦巻く現実社会に身を置き、他者と競り合う受験や就活が目の前に控えているからである。

また、近年は習熟度別クラス編成の推進によって、多様な生徒同士の学び合いを経験する機会が狭められ、学力格差と歪んだ差別感・優劣感が助長されている。

これらを是正することが急務である。
とりわけ、進学校においては、協同学習と受験指導とをどう両立させるかが当面の大きな研究・実践課題であろう。

率直に言えば、高校で協同学習が受け入れられるかどうかは、協同学習によって学力が伸び、結果的に進学実績が向上するかどうかにかかっているといえよう。
 だが、あくまで「結果的に」であり、最初から進学実績を上げるための協同学習というのは理念的に無理だろう。

 i(愛)がなければEigoはEgoになってしまう。
自分の偏差値だけに執着させる英語教育ではなく、「学び愛」によって心と心がコミュニケートし合う英語教育をめざそう。

 展望はある。
 たとえば「大学全入時代」を好機と捉えて大学入試制度を廃止し、ヨーロッパでは常識となっている高校卒業資格制度によって入学を保障する。
 そうした長期的な教育改革と連動させることで、協同と平等の原理を教育に持ち込むことができるのではないだろうか。

すでに文部科学省の委託を受け、国立大学協会センター試験に代わる新たな「高大接続テスト」(仮称)に向けた提言をまとめている。

 実例もある。
 たとえば、オランダなどには塾も受験も宿題も学力競争もない。しかし、子どもたちの学ぶ力は高く、PISAの成績は日本と同レベルである。

 こうした好成績は、学力世界一と言われるフィンランドと同様に、協同と平等の原理で自律的な学習者を育てた結果である。
 前回述べたように、フィンランドでも、16歳まではテストが禁じられている。

 これに対して、日本の子どもたちの成績は、強いられた「勉強」によるところが大きい。
 これでは、試験が済めば学びをやめてしまい、国民全体の教育レベルは高まらない。
 しかし、今日の知識基盤社会は生涯学習の時代なのである。

 何よりも、競争と格差の教育政策は子どもを幸せにしない。
 先進21カ国を対象とした「子どもたちの幸福度調査」(2007)によれば、日本の子どもの幸福感は先進国では最低レベルであり、約30%が幸福だと感じていない。
 この比率は、幸福度世界一のオランダではたった3%である。

 日本の競争主義的な教育制度は子どもの人格障害を招きかねないとして、国連は1998年と2004年に是正勧告を行っている。
 しかし、事態は一向に改善されない。中学3年生の30.4%に抑うつ傾向があるとの報告もある。

 教師の精神疾患も、過去10年間で3.4倍に増加している。20年前の5倍という異常事態だ。

 うつ病胃潰瘍に苦しむ生徒や教師を増やす教育改革に、どんな意味があるのか。
 子どもが幸福感をもち、生涯にわたって学びを楽しむ。そんな方向へと舵を切ろう。
 
 そのために、教育改革の原理を<競争と格差>から<協同と平等>へと転換させよう。
 協同学習は、そのための重要な一歩である。

 <主な参考文献>

江利川春雄(2009)『英語教育のポリティクス:競争から協同へ』三友社出版

中西佐江・江利川春雄(2010)「英語科における協同学習の原理と実践」『学芸』第56号、和歌山大学学芸学会