希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

小学校英語への疑問に答えて

ゲストブックにポッピーママさんから小学校英語に関する3つの「疑問」をいただきました。
多くの人々が抱いている疑問かと思います。その趣旨は以下の通りです。

第一は、今のままでは、絶対に英語を使いこなせる日本人は育たないのではないか。
第二は、楽しいだけの小学校英語でいいのか。
第三は、小学校の英語活動はスキルを教えるのではありませんと言うが、スキルや知識がなければ、人と力や考えを合わせて活動することなんかできないのではないか。

コメント欄(上限500字)では書ききれませんので、こちらで取り急ぎお返事させていただきます。

お便りをありがとうございました。

(1)明治期の小学校英語教授法研究(4)のコメントにも書いたのですが、日常生活で英語を使う必要のない日本では、普通の学校教育で「英語を使いこなせる」人を育てることはできません。

「使いこなせる」人の学習暦を調べると明らかですが、学校の授業を基礎にしながら、その何倍、何十倍も自分で努力して英語力を獲得しています。

ですから、学校教育の限界を知り、その範囲内で学校に要求(期待)することが大切ではないでしょうか。

(2)楽しいと人は続けることが苦にならなくなります。ですから、楽しい授業がずっと継続できれば理想ですよね。

でも、使う必要のない英語、たとえば受験のための英語を義務的に学ばないといけない時期が来ますから、楽しいだけでは乗り越えられなくなるのが普通ではないでしょうか。
僕も大学・大学院の受験のときや、アルクの「1000時間ヒアリングマラソン」を受講していたときなどは心底「苦しい」と思いました。

まずは楽しく、そこからいかに内的動機付け(自分からやりたいという気持ち)を育てるかが教師の腕の見せ所だと思います。
小学校の特に高学年では、外国語活動においても知的好奇心に火をつけ、「ことばと文化の面白さ」に気づかせることが大切だと思います。

しかし、人間には好き嫌い、得手不得手がありますから、クラスの全員を外国語好きにするのは不可能です。

そのことを知りつつ、「来年は少しでも外国語好きを育てよう」と思い、努力しながら教師は定年を迎えるのではないでしょうか。見果てぬ夢を追い続けるのです。素敵な職業ですよ。

(3)は指導主事さん(元教師)の「説得のための方便」でしょう。

そんな方便を使わざるを得ないほど、小学校の先生への研修、準備をしないまま外国語活動を必修化してしまったのです。

もちろん、正しい発音、アクセント、リズム指導ができない先生が英語の指導をすること自体が恐怖です。小学生はスポンジのように英語の音を吸収しますから。

しかし、先生にその訓練をしていない。予算も付けない。付いていた予算もゼロにする。それがこの国の「政策」です。

だから、指導主事さんは「CDのスイッチを入れるだけでいいのです」などと「指導」されるのではないでしょうか。
もちろん、これでは外国語教育ではありません。教師は専門職ですから。

英語に自信のない先生は、外国語活動の時間を限りなく国語や社会の授業に近づければよいと私は思っています。
つまり、「ことばの教育」や「異文化理解教育」にすればよいのです。

政策がまちがっているのですから、無理に従って体と心を壊す必要はないと思います。

でも学校の先生は目の前に子どもがいると、驚異的な頑張りをしてしまうのですよね。
そして力尽きて、早期退職や病気退職、過労死が増えています。
こうして、小学校の教育力全般が落ちてしまいます。
もっとも恐ろしいのは、そのことではないでしょうか。

やるなら、ちゃんとプロを育ててやる。
それができなければ、やらない。
こどもを実験材料にしてはいけません。

次なる政権交代が必要かもしれませんね。