中村文雄氏の論文「軍諸学校入学資格獲得をめぐる私学と官学との抗争」(『軍事史学』第23巻第3号、pp.p57~68、1988年)によれば、1897(明治30)年9月の合格者の出身校は以下の通りである。
総数179名中、海軍予備校55名(31%)、攻玉社32名(18%)、府県立尋常中学校51名(28%)、その他36名(20%)、 家庭自学者5名(3%)。
海軍予備校がダントツで、同じく海軍への予備校だった攻玉社が2位。両方を足すと、実に合格者の半数がこの2つの予備校から入学している。
(ちなみに、この2つの学校は改編されて、現在は前者が海城中学校・高等学校、後者が攻玉社中学校・高等学校となっている。)
(ちなみに、この2つの学校は改編されて、現在は前者が海城中学校・高等学校、後者が攻玉社中学校・高等学校となっている。)
だが、この「予備校」という呼称には注意が必要だ。実態を見ると、むしろ中学校(当時は男子のみの5年制)に近い。
中学校と同じ12歳以上の入学で、修業年限は5年、その上に「高等科」まである。
カリキュラムを見ると、英語(「英文」)に最も力を注いでいたことがわかる。学年別の週当たりの時間数は、9-10-11-11-13で、高等科では週14時間も英語に割いていた。
「グローバル化」時代と言われる現在の中学校は週3時間しか英語を教えていないが、海軍予備校はその3~4倍も教えていたことになる。
「グローバル化」時代と言われる現在の中学校は週3時間しか英語を教えていないが、海軍予備校はその3~4倍も教えていたことになる。
日本海軍はイギリス海軍を手本として成立し、さらに海軍士官には外交官的な役割も求められていたから、高い英語力が求められていたのである。
(江利川春雄『近代日本の英語科教育史』第7章参照 →Amazon)
(江利川春雄『近代日本の英語科教育史』第7章参照 →Amazon)
最後に教科書の配当を見てみよう。
おおむね当時の代表的な教科書が並んでいるが、英語の時間数が多いためか、程度はナンバースクールの名門中学校を上回るハイレベルである。
たとえば、4年生(現在の高1相当)で使用している『ユニオン第四読本』は語彙の水準が1万語を超えており、現在の英検1級レベルだ。この教科書が当時の入試英文のスタンダードだった。
たとえば、4年生(現在の高1相当)で使用している『ユニオン第四読本』は語彙の水準が1万語を超えており、現在の英検1級レベルだ。この教科書が当時の入試英文のスタンダードだった。
英国の海軍提督だった『ネルソン伝』を教えているあたりも海軍系の学校らしい。
以上、ちょっと変わった「予備校」のお話しでした。
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