大学や学会の公務も終わり、年賀状も書いたので、久しぶりに本と遊ぶことにした。
で、庭の物置にしまい込んでいた古い英語参考書を虫干しすることに。
いくつかの段ボール箱を開けると、すっかりホコリをかぶり、湿気でカビの生えかかったものもあった。
「これはまずい!」と、あわてて部屋に運び込み、アルコール布とティッシュで1冊ずつ拭いた。「ごめんよ、ごめんよ」と詫びながら。
いくつかの段ボール箱を開けると、すっかりホコリをかぶり、湿気でカビの生えかかったものもあった。
「これはまずい!」と、あわてて部屋に運び込み、アルコール布とティッシュで1冊ずつ拭いた。「ごめんよ、ごめんよ」と詫びながら。
いま、部屋の周囲には約5メートルほど「懐かしの英語参考書」たちが並んでいる。
貴重なもの(?)は研究室に運んでいるから、ここにある多くは「忘れられた」参考書たちである。
貴重なもの(?)は研究室に運んでいるから、ここにある多くは「忘れられた」参考書たちである。
その中に、僕の「恩人」参考書があった。
梶木隆一著『英語の基礎』(旺文社、1957年初版、1969年四訂版の重版)である。
梶木隆一著『英語の基礎』(旺文社、1957年初版、1969年四訂版の重版)である。
中学を出て栃木の工業高専に進学した僕を待ち受けていたのは、厳しい寮生活と、猛烈に進度の速い授業。
英語を担当されたのは東京高等師範学校の青木常雄門下だった本多俊男先生ほか、いずれも東京教育大系の熱心な先生たちだった。野中先生は英語だけで授業を進めた。ネイティブの先生はもちろん英語だけ。
英語を担当されたのは東京高等師範学校の青木常雄門下だった本多俊男先生ほか、いずれも東京教育大系の熱心な先生たちだった。野中先生は英語だけで授業を進めた。ネイティブの先生はもちろん英語だけ。
1年の1学期で僕は早くも脱落。英語の授業に着いていけない。
夏休みに帰省したとき、本屋で買った易しそうな参考書を、とにかく最後までやることにした。
それが、この『英語の基礎』だった。
わかりやすい。
読んでいくと、子牛が母乳を飲むように、血と肉になっていった。
それが、この『英語の基礎』だった。
わかりやすい。
読んでいくと、子牛が母乳を飲むように、血と肉になっていった。
巻頭には「英語の効果的な学び方」が8ページにわたって付いている。親切だ。
本文は2色刷りで読みやすく、説明も平易だ。練習問題も控えめで、「ヒント」がありがたい。
夏休みが終わり、学校にもどった。
不思議なほど、英語がわかるようになっていた。
不思議なほど、英語がわかるようになっていた。
英語好きになった僕は、いつの間にか英語教師になってしまった。
この本に出会わなかったら、今ごろ技術者としてロボットでも作っていたかなあ。