希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

受験英語と参考書研究の意義:お見舞いへのお礼を兼ねて

複数の方から、コメント欄やメールでお見舞いをいただき恐縮しています。
ありがとうございました。
タミフルの劇的な効果で、思ったよりもずっと楽に過ごせます。
入試委員長として、これからの時期は休めませんので、「早めにかかってよかった」と思っています。

さて、コメントへのお応えを含めて、書かせていただきます。

明治以降の「受験英語」や、その代表格である「英文解釈」の歴史的な意義について、事実に即して、本格的に調べる必要を感じています。
そうした基本的で地味な作業を怠ったまま政策を立てるから、現場に即さない方針が出てきて、教員も生徒も疲れてしまうのではないでしょうか。

一方では政策的に格差を作りだして受験を含む競争を煽り、他方で現実離れした学習指導要領を作る。
その指導要領に忠実に従わざるをえない公立学校ほど、ますます競争から置いてきぼりにされる。
私立の進学校の多くは、その是非はさておき、指導要領を無視して「勝ち組」を育成しているではないですか。

そのため、公立の多くの生徒が未来に希望をもてず、荒れるか無気力になっています。
これは特に1980年代以降、人為的・政策的に作られたものではないでしょうか。
面白いことに(というか、面白くないことに)、この時期は高校の科目から「英文法」を無くした時期と重なります。

ついでに、この政策を放置したまま小学校英語を進めれば、格差の早期化は必至です。
現に、中学英語の先取りを平気で行っている塾に通う子と、そうでない子との入学時での二極化が進んでいます。(中2くらいになると成績の差がほとんどなくなるようですが。)

こうした流れをくい止めるために、「受験英語と参考書の歴史」を本格的に総括しなければなりません。
それが、日本人の「本音の英語学習史」を解明する上で必要不可欠だからです。

もちろん、全員が受験目的だけで英語を勉強しているわけではありません。
ですから、受験以外の学習動機の研究も大事です。これはもっと難しいでしょう。

いずれにせよ、これまでの日本人の本当の英語学習動機とその変遷史を解明しない限り、これからの動機付けと、それに即した教材や指導法のあり方は見えてこないでしょう。

日常生活に英語を必要としない日本人が、これまでなんとか英語を勉強してきた「原動力」(少なくとも要因の一つ)は、受験にあった。それを学問的に見据えないならば、ウソの歴史しか描けず、そうなれば誤った方針しか出てこないのではないでしょうか。

したがって、この研究は空虚な政策への地道なレジスタンス運動です。
面白いですよ。同志として加わりませんか。(^_^;)

ただ、いかんせん、普通高校に進まなかった僕には体験と材料が不足しています(塾と予備校の専任講師はしましたが)。僕が1970年代に使っていた参考書も、すべて大検を受験する友人にあげてしまいました。ですから、「懐かしの英語参考書」と題してはいても、個人的に懐かしいものはほとんどありません。大学院に入ってから集めたものです。
コメント欄で紹介いただいた「エスト出版の参考書」も知りませんでした。こうした情報をお寄せいただけるととても嬉しいです。

いつの日か、「協同と平等の教育」が実現された日には、こんな研究は必要なくなるでしょう。
その「必要なくなる日」のために、今はこの研究が必要だと思っています。