希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

伊藤和夫の命日に

ある先生の論文を読もうと思って書斎に入ったら、伊藤和夫の『予備校の英語』(研究社、1997)が目にとまった。第一級の英語教育論で、大好きな名著だ。

そう言えば、研究社の月刊誌『現代英語教育』に伊藤和夫特集があったことを想い出した。
あった。1997年5月号だ。
同号には、僕の連載「英語教科書の図像学」(第2回)も載っていて、なつかしかった。

その雑誌をめくっているうちに、何となく伊藤の命日が気になった。
そして、「あっ!」と思った。
巻頭の高橋善昭氏の記事に「1月21日、氏が息をひきとられた」とあるではないか。
壁の時計を見ると、1月20日23時57分。
命日まであと3分を切っていた。

B級ホラーでもなんでもない。事実である。

僕は無神論者だから霊魂の存在なんか信じない。単なる偶然だ。
ただ、この間ずっと英文解釈の現代的意義を考えているうちに、伊藤和夫の業績を取り上げなければと強く思うようになっていた。
だから、この偶然は必然なのだ。
研究に本気で打ち込んでいるときには、レアな本や資料が向こうからやって来る。それと同じだ。
(下は、特集のフロントページ

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伊藤和夫は1927(昭和2)年に長野県に生まれ、東京大学文学部西洋哲学科を卒業。横浜の山手英学院の講師を経て、駿台高等予備校(1980年より駿台予備学校)英語科専任講師、後に英語科主任となる。その活躍はあまりに有名なので、ここで中途半端に書くわけにはいくまい。
生前、山手英学院時代に刊行した幻の名著と言われる『新英文解釈体系』(有隣堂、1964)を始め、膨大な英語参考書を刊行している。詳細はWikipediaへ

蛇足ながら、終生独身を通した伊藤の逝去後に残された十数億円もの預金は、妹との連名で、看護学校奨学金として赤十字に寄付された。伊藤の人柄が偲ばれる。

さて、伊藤の英文解釈論はそれ自体が研究論文になるレベルである。本格的に取り上げるのは後日として、命日の今日はただ1点。『英文解釈教室』(研究社、1977)の「はしがき」から一部を引用させていただき、改めて彼の偉大な見識に敬意を表したい。

「訳読中心の学習法を批判することは戦後の流行である。しかし、批判者は新しい学習法として何を打ち出したのであろうか。『英語で考えよ』と言われる。だが、方法を教えずに ただ考えよと言ったところで 絵に描いた餅にすぎない。『直読直解』と言われる。たしかに読むに従って分かるのは理想である。しかし、それはどのような頭の働きなのか、何を手がかりとし、どのような練習を積めばその域に到達しうるかの具体的道程を示さずに、念仏のように直読直解を唱えたところで初心者には何の助けにもならない。『多読が重要である』と言われる。だが、そもそも読むことができない者に多読と言った所で、それは多くを読んでいるのではなく多くを誤解しているにすぎない。誤解の集積がどのような過程で正しい理解に転化しうるかの説明は聞けないのである。訳読法批判の結果、現実にはわれわれは方法以前、つまり、『読書百遍、義おのずから通ず』の域に退行したのではないだろうか。最近の文法軽視の傾向と相まって、現在の英語教育の成果はかつての訳読法中心時代のレベルにも達していないのではないかとの危惧を筆者は抱かざるを得ないのである。」

伊藤和夫の「危惧」は、この直後に現実のものとなった。
この文章が書かれた翌年の1978(昭和53)年に、文部省は学習指導要領を改訂し、高校用の「英文法」の検定教科書が消えた。英文法の授業は「公式には」行えなくなった。明治以来なかった歴史的愚行である。

そして、2009年の新高校指導要領では、ついに「リーディング」と「ライティング」の科目さえ削除してしまった。愚行はとどまるところを知らない。

政策と現実との巨大な矛盾。
予備校という矛盾の最前線に身を置いたからこそ書けた伊藤和夫の警告を、現場知らずの官僚と学者らが踏みにじった。

伊藤和夫の命日に、反撃の誓いを立てたい。