変化は高度成長下の1960年代に進行しつつあった。
高校進学率は1955年の51.5%が、65年に70.7%、70年には82.1%となり、ついには75年に91.9%に達した。ほぼ全入に近い状況となったのである。
こうして、高校生の英語学力が著しく多様化した。
高校進学率は1955年の51.5%が、65年に70.7%、70年には82.1%となり、ついには75年に91.9%に達した。ほぼ全入に近い状況となったのである。
こうして、高校生の英語学力が著しく多様化した。
大学進学率(短大を含む)は、1960年には10.3%だったが、1963年には米国の社会学者マーチン・トロウがいうマス型高等教育の入り口である15%を超えた。
それが、1975年には38.4%となった。10年間で2倍以上に増えたのである。
それが、1975年には38.4%となった。10年間で2倍以上に増えたのである。
参考書は、こうした状況に対応しない限り、生き残ることは許されなかった。
山貞の『新々』も例外ではない。
山貞の『新々』も例外ではない。
改訂のポイントは3点である。
◆項目立ては従来どおりだが、例題を易から難の順序に配列し直した。
◆例題の大幅な入れ替えを行った。最近5年間の大学入試問題から180題を追加し、旧版の245題を削除して、差し引き65題減った。
◆入試傾向に合わせて、短文を削減し、長文を補充した。
冒頭の10問の例題を比べると、1965年の7訂版から1971年の8訂版への移動の激しさがわかる。( )内の数字は8訂版の例題番号で、×は削除を表す。
1→(×)、2→(×)、3→(×)、4→(1)、5→(5)、6→(2)、7→(12)、8→(×)、9→(7)、10→(6)
*8訂版の3、4、8、9、10は新たに追加された。
*8訂版の3、4、8、9、10は新たに追加された。
手許の8訂版は、1975年1月10日で第7版(刷)となっているから、平均すると1年に約2刷。前の版と比べて、売上げはほぼ横ばいだったようだ。
共通一次の年に出た最後の『新々英文解釈研究』(1979)
1979年1月、日本の大学入試制度が始まって以来の激震が走った。全国の国公立大学で、マークシート方式の共通一次試験が導入されたのである。
僕は大学の2年生で、たしか「共通一次試験反対!」のビラを配った記憶がある。
共通一次によって、採点業務へのコンピュータの導入が加速され、大量の受験者を抱える私学を中心に、英文和訳などの記述式を削減・廃止して、選択式とする傾向が強まった。
それは同時に、入試英文の長文化と総合問題化を促進した。
それは同時に、入試英文の長文化と総合問題化を促進した。
他方で、学習指導要領による政策誘導によって、高校で学習する語彙が削減され続けた。
1950年代には上限6,800語だったが、1978年告示の指導要領では上限2,950語にまで減らされたのである。
1950年代には上限6,800語だったが、1978年告示の指導要領では上限2,950語にまで減らされたのである。
こうした逆風の中で、『新々』はかつてない大改訂を断行する。
これが第9訂版であり、最後の『新々』である。
これが第9訂版であり、最後の『新々』である。
○ 佐山栄太郎第4次改訂版(第9訂版)『新々英文解釈研究』 1979(昭和54)年9月10日発行。 498頁、1,000円。項目は30分類で計115、例題は850、第2部の長文は30題。
表紙のイメージもおしゃれになった。
表紙のイメージもおしゃれになった。
佐山栄太郎の「第九訂版にあたって」によれば、「これまでのものに比べて、かなり大胆な」改訂となった。
ポイントは、項目のグループ化と第2部の長文問題の導入で、ともに1912年の山貞『英文解釈研究』始まって以来の大改革である。
◆構成を第1部「基礎編(慣用語句と構文)」と第2部「応用編(長文問題選)」に分けた。
◆第1部では旧版の966題のうち169題を削って、新たに50題を追加。第2部では全国大学の入試問題から30題を精選して収録した。
◆これまで100以上に細分化されていた項目を、「theの用法」「itself, oneselfの用法」「比較表現」「仮定法」などの30グループに分類した。
項目は易より難へ、単語・熟語・相関語句の慣用法から文章構成の問題点へと進む仕組みにした。
項目は易より難へ、単語・熟語・相関語句の慣用法から文章構成の問題点へと進む仕組みにした。
第2部「応用編(長文問題選)」は、入試英文の長文化に対応するための措置で、『新々』の生き残りを賭けた戦略だった。
しかし、山崎貞の『英文解釈研究』は、もともと明治期の暗号のように複雑で難解な英文を「公式」と呼ばれる慣用語句・構文パターンによって読み解き、和訳するためのものだった。
入試問題の語彙も構文も平易となり、長文を速読する必要に迫られ、しかも徐々に和訳の必要すらなくなってくると、もはや進化も限界に来ていた。
手許の本では、1979年9月に初刷が出た第9訂版は、1987年2月に9刷、1992年に15刷と、1年に1刷程度のペースに落ちている。そして、1994年の増刷が最後となった。
2008年のこと、資料調査で立ち寄った研究社で、編集部長から『新々英文解釈研究』と『新自修英文典』の復刊についての相談を受けた。
僕は「ぜったい売れますよ」と太鼓判を押した。
そしていま、山貞の復刊本(1965年の7訂版)は「伝説の参考書」として空前の売れ行きを示している。
僕は「ぜったい売れますよ」と太鼓判を押した。
そしていま、山貞の復刊本(1965年の7訂版)は「伝説の参考書」として空前の売れ行きを示している。
今年は山貞の没後80年。
2年後の2012年は、山貞『英文解釈研究』の生誕100周年である。