希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

懐かしの英語参考書(24)南日恒太郎『難問分類 英文詳解』(1903)

英語参考書の「南日時代」を告げる英文解釈の古典

○ 南日恒太郎『難問分類 英文詳解』ABC出版社(後に有朋堂)、1903(明治36)年6月26日発行。
本文121頁+別冊「訳註之部」104頁。校閲・序文(英文)は神田乃武(かんだ・ないぶ)。
1904年2月の第5版(刷)段階で「本書の使用法」(全2頁)が付けられる。
*手許の1905(明治38)年9月10日発行の第9版(下の写真)では、発行元が「有朋堂」に変更されている。

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南日恒太郎(なんにち・つねたろう)は、1871(明治4)年に富山県で生まれた。富山中学校を病気のため1889(明治22)年に中退したが、独学を続け、1893(明治26)年に文部省中等教員検定試験の国語科に合格し、富山中学校教諭となる。
2年後に上京して国民英学会に入り、またイーストレーキなどの外国人に就いて英語を学んだ。1896(明治29)年に文部省中等教員検定試験の英語科に合格し、正則中学の教師をへて、1902(明治35)年に学習院の教授となった。
1923(大正12)年に富山高等学校が創設されると、校長として学校経営に尽くした。
だが、1928(昭和3)年に学生らと海水浴中に心臓麻痺を起こし、永眠した。
英語参考書以外の著書として、『英和双解熟語大辞典』(1912)、『英文藻塩草』(1916)、『英詩藻塩草』(1916)などがある。

さて、南日恒太郎の参考書については、『英語教育史資料・4(英語辞書・雑誌史ほか)』(1980)の中で、高梨健吉氏が次のように極めて高い評価を与えている。

「受験参考書の古典としてまず第一にあげるべきものは南日恒太郎のものであろう。彼によって初めて英語受験参考書は体系的に整えられたといってよい。いま読んでも実にすばらしい参考書で、南日の前に南日なく、南日の後に南日なし、との感にうたれる。彼のように国文と英文の両道の達人にして初めてなしうる著作であろう。彼は『難問分類英文詳解』ABC出版社、1903〈明治36〉年)に続いて、その改訂版として出した『英文解釈法』(有朋堂、1905〈明治38〉年)は圧倒的な人気を博し、多くの版を重ねた。これは受験に必要と思われる語句を品詞によって分類したもので、ここに初めて組織化された英語受験参考書の出現を見た。彼は姉妹編として和文英訳法』(有朋堂、1907〈明治40〉年)を出したが、これも大いに歓迎されて版を重ねた。これも日本人学生の誤りやすい語句の英訳を網羅したものである。」(p.403)

また、『英語教育史資料・4』は6ページ以上を割いて『英文解釈法』(1905)を紹介し、「英文解釈参考書の古典となっており、その後出た参考書はすべてこれを模範とし、あるいはこれを易しくしたり、あるいはこれを詳しくしたものが多い」(p.403)という高い評価を与えている。

これらが書かれたのは1980年頃だから、やむを得ないと思うが、僕はちょっと過大評価の気がする。
やがてこのブログでも、南日以前の明治期の英語参考書を紹介しよう。どうして、なかなか優れものがあった。

また、南日の9年後に出された山崎貞『公式応用 英文解釈研究』(1912)については、このブログで詳しく紹介してきたように、南日『英文解釈法』の焼き直しとはとても思えない。

いずれにしても、南日のデビュー作である『難問分類 英文詳解』(1903)については紹介がないので、詳しく見てみよう。

南日は文法項目(品詞)別に7つのパートに分けている。目次も本文もすべて英語だが、各パートを日本語で示すと以下のようになる。

第1部  名詞(冠詞を含む)
第2部 代名詞
第3部 形容詞(冠詞を含む)
第4部 動詞
第5部 副詞
第6部 前置詞
第7部 接続詞

以上の大項目が74の細目に分類されている。
全体の例文数は1189である。

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目次の後には例文の出典が書いてある。いずれも明治期の中学校などでよく使われた教科書や辞書である。
*が付いた例文は入試問題から採られたことを示している。ただし、学校名は明記されていない。

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本文は以下のようになっており、重要ポイントがイタリックの太字で示されているだけで、なんらの解説もなく、例文が隙間なく敷き詰められている。

本編冒頭の英語タイトルがこの参考書の性格をよく表している。
ただし、日本語タイトルの「難問」にあたる英単語はない。

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解説や訳例はすべて別冊の「訳註之部」に集められている。
この分冊方式は山崎貞『公式応用 英文解釈研究』(1912)にも踏襲されている。

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ただし、この分冊方式は、しばしば訳註・解答編を失いがちである。
古書店でこの参考書を見つけても、あわてずに「訳註之部」(解答編)が付いているかを調べること。
僕も「訳註之部」がない本を3冊持っているが、価値は半減以下。くやしいものだ。

この初版の『難問分類 英文詳解』(1903)は、2年後に大幅に改訂されて『英文解釈法』(1905)となった。

南日恒太郎『英文解釈法』有朋堂、1905(明治38)年

1905(明治38)年6月9日発行。本文112頁+「訳註之部」154頁。

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『難問分類 英文詳解』(1903)の「大改訂」版が出ても、旧版が絶版になったわけではなかった。両者が一時期併存したのである。
その区別のために、書名を『英文解釈法』に改めたのである。

改訂の概要は以下の通り。
1. 旧版の300程の例題を削除し、新たに150程を加えた。
2. 本編の冒頭に「基本例文」のパートを加えた。その後の品詞別の編集は旧版と同じである。
3. 「訳注之部」を1.5倍に増やし、解説を大幅に充実させた。
4. 16頁におよぶ詳細なINDEXを巻頭に設け、重要語句の検索を容易にした。

ただし、本文のレイアウトなどは旧版と同じである。
僕には、さほど「大改訂」したとは思えない。

この参考書にまつわるエピソードは多い。
作家の菊池寛は、1903(明治36)年に香川の高松中学校に入学し、4年生のときには南日の『英文解釈法』を「精読して、全部呑み込んでゐた」という。

鈴木氏亭の『菊池寛伝』(実業之日本社、1937)では次のように述べている。

「その頃、南日恒太郎といふ人の『英文解釈法』といふ本が流行ってゐた。難解な文章ばかりを集めて懇切に解釈したもので、これさへ完全に理解して居れば、どこの専門学校へも入れるといふ位の、云はば受験生の虎の巻だった。」(52頁)

南日恒太郎の英文解釈書が本当に「大改訂」されるのは、次の『英文和訳法』(1914:大正3年10月初版)からだと思う。

これは山貞『英文解釈研究』(1912)が出た2年後に刊行されたのだから、いよいよ南日と山貞との壮絶なバトルが展開されていくわけだ。

この『英文和訳法』については、次回をお楽しみに。