希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

英作文参考書の歴史(9)小野圭次郎『英語の作文』(その2)

昭和受験史の伝説「小野圭シリーズ」の英作文(2)

○ 小野圭次郎『〔三訂〕新制 英語の作文 研究法』山海堂、1928(昭和3)年5月23日発行、1946(昭和21)年12月5日三訂229版。全443頁。(写真左)

○ 小野圭次郎『〔改訂増補〕新制 英語の作文 研究法』小野圭出版、1928(昭和3)年5月23日発行、1957(昭和32)年改訂増補版(267版=四訂版)発行、1970(昭和45)年7月25日283版。全478頁。(写真右)

イメージ 1 イメージ 2

戦後も小野圭の参考書は刊行され、1970年代まで続いた。
敗戦の翌年に出た1946年版(左)は、表紙には「再訂」とあるが、トビラには「三訂 新制」と記されている。
敗戦直後の紙不足により、ペーパーバックのような装丁で、紙質の悪い「仙花紙」(再生紙)が使われている。
主な改訂点は以下のとおり。

(1)巻頭の「英訳教育勅語」が消えた。
(2)「終戦後の再刊行に就いて」と「新制版発行の理由」が付けられた。ただし、この「新制」とは1943(昭和18)年の学制改革を踏まえたものである。
(3)「国際的に面白からぬ英文若干を別な文に取換へ、又不適当と思はれる語句若干に訂正を加へた」。ただし、後に見るように、本格的な訂正は1957年版からである。
(4)内容構成が以下のように改変された。

第一編 英作文の学び方と仕上げ方 1-13頁
第二編 英作文の研究要素 14-403頁
第三編 諳誦模範文と和英要語小字彙並索引 404-443頁

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

しかし、1946年版の本文の内容は戦前版とほとんど同じである。
敗戦直後の混乱の中で、最小限の改訂のまま急いで刊行した感じがする。

大幅な改訂は、1957年刊行の四訂版で行われた。
小野圭次郎は1952(昭和27)年に83歳で没しているから、第三者による改訂である。
版元も、娘が経営する「小野圭出版」に移っている。
主な改訂点は以下の通り。

(1)日本語の表記を現代風に一新した。
参考までに、前回に紹介した200番台の例文を読み比べていただきたい。
日本語の変化の激しさを実感する。

イメージ 6

(2)第二編に「話法」を加え、第三編に戦後の大学入試問題より選んだ英作文例題40を「補遺」として追加した。
巻末にも「英文の基礎的形式」(5文型の解説)を付けている。

イメージ 7

(3)例題の中の軍事、旧植民地等の地名などを改変した(後述)。

目次は以下の通り。

イメージ 8

イメージ 9

それにしても、1946年版の紙質と比べると、この間の高度経済成長の威力が実感できる。
もっとも、製紙工場の排水によって、海はヘドロで汚染されていたのだが。
この頃、ゴジラと闘ったのが「公害怪獣へドラ」で、ヘドロを栄養源とする気色の悪いやつだ。
子供心に「本当に悪いのは海を汚した人間」とは思っていたが・・・

(ごめん、脱線しました。) <m(_ _)m>

3つの版を読み比べると、時代の変化が例題に反映している。典型的な例を挙げてみよう。
(なお、戦後版では入試の出典は割愛されている)

(1)戦争が例文に影を落としている。
(1937年版)「戦艦日向進水式は一月二十七日に挙行された。」(長崎高商)
(1946・1957年版)「戦艦コロンビア進水式は一月二十七日挙行された。」

連合国の占領下とはいえ、あちらの戦艦ならいいのか・・・

(1937・1946年版)「何よりも健康は軍人に必要である。」(海軍機関学校)
(1957年版)「何よりも健康は青年に必要である。」

老人にも健康は必要だと思うのだが・・・

それにしても、この入試問題の日本語は不自然だ。
「軍人には何よりも健康が必要である」が普通だろうに。
英語の文章からHealth is the most necessary to …を取ってきて、それを直訳して出題したのではないだろうか。出題者がよくやる手だ。

(2)植民地支配や戦争の歴史を想い出したくないのか、隠蔽したいのか、以下のような改変もある。

(1937・1946年版)「昨年の秋僕等の学校の校長は朝鮮及び満州を旅行せられた。」(三重高等農林)
(1957年版)「昨年の秋僕らの学校の校長は欧米を旅行された。」

他にも、「満州」(中国東北部)の地名である「奉天」「遼陽」「青島」などは、1970年版ではそれぞれ「仙台」「福島」「京都」に改めてある。

(1937・1946年版)「小生本日汽船天神丸にて無事上海に到着仕候」(福島高商)
(1957年版)「私は本日汽船天神丸で無事ロンドンに到着いたしました。」

天神丸がロンドンにまで航行したというのは史実の歪曲ではないだろうか・・・(^_^;)

(3)戦後の学制改革が反映した例文もある。
(1937・1946年版)「広島高等師範学校が創立されてからもう十五年を経過した。」(広島高師)
(1957年版)「われわれの高等学校は創立されてからもう十五年たちました。」

教員を養成した師範学校高等師範学校は、それぞれ学芸学部や教育学部などに改変されたのである。

他方で、海軍兵学校が出題した「一国の強弱は其国の兵員の多少よりは、其兵士の訓練と勇気にあります。」という例文は、海軍兵学校という出典を省いただけで、1946年版や1957年版にもそのまま載せられている。
線引きは難しい。

こうした改訂を経て、小野圭の「英作文」は小野圭が亡くなってからも刊行され続けた。
山貞の『新々英文解釈』などとともに、驚異的だ。

たしかに、「小野圭」は人気ブランド名だった。
だが、もう一つの理由としては、小野圭の「英作文」は、山崎貞や南日恒太郎の作文本と比べて、軍事色が薄かったことが挙げられよう。
軍事的な記述は上で挙げた程度で、戦意高揚的なものはないようだ。

巻頭に「教育勅語」を載せていたので、きっと軍事色も強いだろうと思っていたが、意外である。

偏見を持たず、謙虚に原文を読み込むことが史料研究の基本であることを実感した。